私は「アンネの影」だった 収容所で地獄見た義妹が心を取り戻すまで

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玉川透
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 『アンネの日記』で知られるアンネ・フランク(1929~45)には、「影」と呼ばれた女性がいます。同い年で、幼い頃に近所に暮らしていたユダヤ人のエバ・シュロスさん。アンネはナチスの強制収容所で命を落としましたが、エバさんは奇跡の生還を果たします。後に2人の両親が再婚し、アンネの「義理の姉妹」になったことで、エバさんはひとり悩み苦しみました。私は7年前、ロンドンに暮らすエバさんを訪ね、インタビューしました。「アンネがずっと重荷だったのです」――。彼女のアンネに対する複雑な思いと壮絶な半生を、当時の記事を再構成してお届けします。

 「アンネには、少女とは思えない、どこか近寄りがたいオーラがありました」

 ロンドン市内の自宅で2015年4月、エバさんはアンネとの数奇な縁を語り始めた。

 エバさんは1929年5月、ウィーンで製靴工場を営むユダヤ人中流家庭に生まれた。両親と3歳年上の兄との穏やかな暮らしに暗雲が垂れこめたのは33年、エバさん4歳の頃。隣国ドイツにヒトラー政権が誕生し、ユダヤ人排斥のうねりは欧州に広がっていた。

 10歳になった39年、第2次世界大戦が勃発。一家は追われるように、オランダのアムステルダムに移り住んだ。そのとき近所に住んでいたのが、同い年のアンネ・フランクだった。

 「アンネはファッションやヘ…

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    遠藤乾
    (東京大学大学院法学政治学研究科教授)
    2022年12月11日14時34分 投稿
    【視点】

     もう三週前の記事ですね。でも考えさせられます。東欧史の専門でジェノサイドにも詳しいティモシー・スナイダー教授が、「ポスト真実はプレ・ファシズム」と端的に述べていますが、真実に向き合わずに、それを歪曲していくと、また悲惨なことに従事するよう