遺志を継ぎ、若手を育てたウェールズ 初勝利の行方は「英国対決」に

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岩佐友
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 (25日、W杯1次リーグB組 イラン2―0ウェールズ)

 「夢物語」だ。

 ウェールズがワールドカップ(W杯)にたどりつくまでの歩みを振り返れば、そう表現したくなる。

 2022年W杯の開催地がカタールに決まった10年12月、W杯出場は現実的ではなかった。当時の世界ランクは112位だった。

 そんな人口320万人の「小国」が64年ぶりのW杯出場を果たした要因を探ると、二つのキーワードが挙がる。

 「ガリー・スピード」と「ウェルシュ・ウェー」だ。

1年足らずで45位まで上昇 しかし、突然の悲劇が

 ガリー・スピード氏は選手としてイングランド1部や代表で長く活躍した後、10年12月、ウェールズ代表の監督に就任した。

 そこで「W杯出場」という目標を口にし、変革に乗り出した。

 サウスウェールズ大学で、サッカーの歴史や発展について研究するジェフ・リンさんは「彼はまず代表チームをクラブ化しようと考えた」。分析や戦術に優れたスタッフを招き、それまで攻撃の主体だったロングボールやカウンターではなく、ボールを保持し、組織的なサッカーを植え付けようとした。

 就任後、格上のスイスやブルガリアを破り、1年足らずで世界ランクを45位まで上昇させた。

 しかし、悲劇は突然訪れる。

 11年11月、スピード氏が…

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