古代九州の要 京都平野とは 中央や海外との関係を展示にみる

編集委員・中村俊介
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 いにしえの京都(みやこ)平野は、まさに古代九州の要、先進の地だった――。そんな福岡県北東部の歴史を一望できる特別展「京都(みやこ)平野と豊国(とよのくに)の古代」が、九州歴史資料館(小郡市)で開催されている。12月4日まで。

 かつて豊前の国に含まれ、瀬戸内海に面した京都平野周辺は、近畿の中央勢力への玄関口であると同時に、朝鮮半島など海外にも開かれた文化や政治、交通の十字路だった。その旧石器時代から古代までをたどる特別展は、最新の調査研究成果もたっぷり詰め込み、168件700点の考古資料や文献記録でこの地域の特異性を読み解く。

 古墳時代には、石塚山古墳(苅田町)などの前方後円墳が九州の他地域に先駆けて出現し、三角縁神獣鏡など豊富な副葬品を誇示。稲童21号墳(行橋市)の重厚な甲冑(かっちゅう)は、朝鮮半島の加耶諸国や大和王権との深い関係を物語る。

 飛鳥・奈良時代には、瓦の文様で中央とつながる古代寺院が林立して華麗な仏教文化が花開き、やがて八幡神を奉じる宇佐神宮は全国に先駆けて神仏習合の地に。大宝2(702)年の仲津郡丁里の戸籍断簡に見える渡来系氏族の名からは、朝鮮半島に出自を持つ多くの人々が定住していたことがわかる。

 古代九州を統率した大宰府政庁(太宰府市)に匹敵する規模の役所跡、福原長者原遺跡(行橋市)や、重要港湾機能を担った延永ヤヨミ園遺跡(同市)など、九歴が明らかにした発掘成果も盛りだくさんだ。

 県内特定地域に焦点を当てた企画の第3弾で、九歴は「調査成果も風土記や記紀など文献と整合的」とする。「京都」というみやびな地名を持ち、内外の文物と人々が行き交う古代豊前地方の実態が見えてくる。(編集委員・中村俊介

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