がんの母を看取った後、39度の熱と首の腫れ やり投げ選手とがん

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 「若くたってがんになる」の6回目は、悪性リンパ腫と診断された松谷昂星さん(29)です。やり投げの選手でもあり、競技復帰をめざしてトレーニング中です。

1993年島根県生まれ。中学から始めた陸上競技(投てき)では、全国大会に入賞。鹿児島県の金融機関で5年間勤務し、2021年春にUターンで地元の市役所へ転職。同年秋に悪性リンパ腫と診断された。

 私が「がん」になる数カ月前に、母をがんで亡くしました。そのこともあり、私ががんと診断されたときも、どこか覚悟ができていました。

 中学生の頃に陸上競技を始め、島根県代表として国体に出場したり、高校3年生の時には専門で取り組んでいたやり投げでインターハイで2位になったりしました。

 イラスト作家だった母にとっては、スポーツをしている私を支えたのは慣れないことだったと思いますが、私が活躍して地元新聞に掲載されると切り抜きをして大切に保管してくれていました。

 高校卒業後は福岡の大学で競技を続け、4年生の時に日本選手権で5位に入賞し、社会人でも地元に戻らずに競技を続けることを決意しました。

 当時、鹿児島では2020年に開催される予定だった国体の強化事業として競技者を募集していました。その事業を使って、鹿児島の企業で働きながら競技を続けました。

病床の母、結婚式もリモートで

 20年の秋、母の胃がんが見つかりました。それをきっかけに、故郷へUターンすることを決め、転職活動を始めました。

 母の胃がんはステージ4。私の結婚式も体調が悪くて出られず、リモートで式の様子を見てもらいました。

 妻と一緒に実家に顔を見せに行った時、普段は気丈に振る舞う母が、泣きながら「帰ってきてくれてありがとう」と言った時、私はあまりにも動揺してしまい、無理して明るく振る舞いました。今思い出しても心がキュッとなります。

 21年春、採用された地元の市役所で働き始めてすぐ、母の病状が悪化しました。

 新型コロナウイルスの流行で病院での面会も15分ほどでしたが、「仕事に戻りんさい」と言うほど弱音を吐かない母でした。父と一緒に、最期を看取ることになりました。

 それから約3カ月経った21年8月15日。私は、陸上の練習のため、いつものように自前のトレーニング場で汗を流していました。

 平日は仕事が終わったあとに1時間家の周りをランニングして、週末は5~6時間トレーニングをしていました。

大量の寝汗と発熱、遺書も準備

 ただその日は、踏ん張ろうとするとひどい頭痛に襲われたため、練習を切り上げて自宅で休むことにしました。

 夜になり、ふと首筋を触ると…

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