舞鶴湾・蛇島の旧海軍ガソリン庫、初の一般公開 観光資源に利活用へ
京都府舞鶴市の無人島・蛇島(じゃじま)に海軍が設置したガソリン庫が初めて一般公開された。同市は、安全を確認した上で海軍の歴史を知る観光資源として利活用する方策を検討する。
2016年、舞鶴市は、かつて海軍鎮守府が置かれた横須賀市(神奈川県)、呉市(広島県)、佐世保市(長崎県)とともに「日本遺産」の認定を受けた。蛇島は20年、構成文化財に追加され、これまでに近くの住民向けの見学会はあったが、一般に公開するのは初。24、25日の2日間で、事前に応募し、抽選で選ばれた約40人が参加した。多々見良三市長は「将来的に利活用する前提で、現状を調べていきたい」と話す。
蛇島は舞鶴湾東側のほぼ中央、湾口から舞鶴東港に向かう途中にある。南北約260メートル、東西約100メートルで、周囲約650メートルの細長い三角形をしている。海軍が1916(大正5)年に買収、22年に燃料保管施設が設置された。爆発の危険性が高いガソリンを人里を避けて貯蔵する狙いで、無人島を選んだとみられる。
ガソリン庫は、島を東西に貫通する長さ約65~70メートル、幅約3・6メートル、高さ約3・5メートルのトンネル4本。島の南部には石積みで護岸や桟橋を築き、クレーンが設置された。終戦後は対岸の佐波賀地区の住民が、特産のダイコンを採種用に育てたこともあったという。だが、現在も、近畿財務局管理の国有地として立ち入りが禁止されている。
◇
舞鶴東港前島ふ頭から小型船で約10分。白い花崗岩(かこうがん)の護岸と桟橋が見えた。市観光振興課の神村和輝さんの案内で、桟橋へ荷揚げするクレーンを設置した基礎や、ガソリンをチェックした出納所跡を見て回り、林に分け入る。島が使われなくなって77年、樹木は大きく育ち、根っこが地面にせり出して歩きにくい。
まずは一番南の第一ガソリン庫。扉やシャッターは失われ、内部にはがれきがちらばる。ただ、内壁は下部のコンクリートも、れんが積みが透けて見えるモルタル仕上げの天井アーチも、ひびや汚れもなくきれいなままだ。100年前の施工とはとても思えない。
小さな島で、森の保水力が低く水は湧かない。年に1度は訪れている神村さんは「蛇島とはいいますが、ヘビどころか動物を見たことはほぼない。鳥ぐらい」。乾燥が良好な保存状態につながったという。
湾口側の出口は排水溝を備えた花崗岩の石積みが左右にそびえ、コンクリート壁も石積みアーチに見えるよう模様が刻んであり、頂点に要石が描かれている。海から見えないよう土塁を築いてあるにもかかわらず細部に装飾を施したのは、「海軍なりのこだわりでしょうね」と神村さん。
当初はガソリンをドラム缶に入れて置いていたが、後に動力ポンプ付きガソリンタンクが導入された。直径約3メートルの円筒を五つ置くため、トンネル内にコンクリート製の架台が追加された。タンクは撤去され、外されて放置されている架台も多い。戦後、トンネルを再活用しようとした名残の可能性もあるという。
一番北の第四ガソリン庫には扉が残る。鉄製の枠にトタン板を張り、内側からキャンバス地をあてた観音開きだ。だが、内部は天井アーチにモルタルが塗られず、れんが積みがむき出しに。施工準備の跡があり、第一から第三までと同じ構造になるはずが、なぜか工事は中断された。理由は不明だが、ガソリン庫が設置された翌年、ワシントン軍縮条約で舞鶴鎮守府は要港部に格下げされた。予算を削られた可能性がある。
第四ガソリン庫を東側に出たやぶの中に船のもやいをつなぐビット(係船柱)があった。この辺に木製桟橋と、海軍専用の水泳場があったという。島の北側には砂を運び込んで海軍士官専用ビーチを築いたというが、現在はすべて流されている。カキ殻だらけでとても海水浴には向かないそうだ。
ジブリ映画「天空の城ラピュタ」の世界観を思わせる廃虚で、一般公開には多数の応募があったという。参加した対岸の佐波賀に住む神山知子さん(64)は「海軍が工事をしていく過程がよくわかった。参加してよかった」と話していた。(大野宏)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。