奥びわ湖・山門水源の森 寄り添い20年、生物多様性の重要さ伝える
【滋賀】環境省の重要湿地に選定されている山門(やまかど)湿原を含む「奥びわ湖・山門水源の森」(長浜市西浅井町山門)で、ボランティア団体が保全活動を始めて20年となり、10月に記念誌を出版した。希少植物など森の生態系の保全・再生に取り組み、活動記録を詳細にまとめた。生物多様性の重要さを呼びかけている。
秋晴れの11月上旬、山門水原の森を訪れた。観察コース出発点の管理棟「森の楽舎(まなびや)」で入山ノートに記帳し、ポストに協力金(200円)を入れる。
午前10時、気温は12度。湿原までは約500メートルの沢道が続く。渓流のせせらぎと野鳥の声が心地いい。森から流れ出る小川は大浦川を経て琵琶湖に注ぎ、ビワマスが遡上(そじょう)する清らかな水を供給している。
約15分で湿原に到着した。早朝から、ボランティア団体「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」(浅井正彦会長)のメンバー約20人が下草刈りやコースの整備・点検をしていた。
この辺りは1960年代まで、炭焼きや薪を作る薪炭林として利用されていた。その後、炭や薪の需要が減少。90年代にゴルフ場の開発計画が持ち上がったが、反対運動などで頓挫し、96年に県が一帯の63・5ヘクタールを買収し公有地化した。森で働く人が行き交った山道が観察コース(最長約4キロ、約3・5時間)として整備され、2001年に一般公開された。
この森の保全を担ってきたのが「引き継ぐ会」だ。こうした広大な「自然公園」を、民間のボランティア団体が主体となり維持管理するのは珍しい。「先行事例がなく手探りの20年だった」。発足当初から携わる理事の藤本秀弘さん(79)が振り返る。
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最も悩まされたのはシカによる植物の食害だった。湿原の周囲を見ると、外周が防獣ネットやトタン波板で囲われている。
この森には氷河期から残る植物とされる県の絶滅危機増大種、ミツガシワが自生している。春に寒冷地の湿地や浅い水中で群落をつくる。2001年4月、つぼみや地下茎が荒らされ周辺で多数のシカの糞(ふん)が見つかった。10年には数株の開花だけになった。
また、ササユリも06年に開花直前のつぼみが食べられる被害に遭った。6月ごろに花を咲かせる。1960年ごろまで里山ではよく見られたが、近年は減少。半日陰の環境を好むため、人が森を利用しなくなり日が差さない暗い場所が増えたためとみられる。地道に下草刈りなどを続け、年々増えていた。
会では、獣害対策の講演会などに積極的に参加。周囲に金網や、防獣効果の高いネットを設置した。2014年には会員が狩猟免許を取得。森で生息するシカを望ましい数に抑える野生動物管理の観点から捕獲を始めた。
その結果、15年度は糞粒調査から推定した1平方キロのシカの個体数密度は約99頭だったが、20年度は環境省のガイドラインに近い約8頭に減少。ミツガシワやササユリの植生は回復しつつあるという。
湿原を過ぎ、尾根沿いのコースを登る。山頂部は標高520メートル。出発点とは約300メートルの高低差がある。森には木製の階段が約千段設置されている。会員が人力で運び上げるなどして設けたものだ。
約1時間でブナの森に着いた。ブナ科にはブナ、ミズナラ、コナラ、アカガシなどがある。ブナは主に寒冷地に、アカガシは暖地に分布する。一帯は日本海側と太平洋側の両方の気候の影響を受けるため、ブナとアカガシが枝を差し交わして同居する珍しい光景を見ることができる。
ブナは水源涵養(かんよう)の機能などがあり、近年は豪雨など災害対策の観点から重要視されている。ブナ周辺ではササが繁茂していることが多い。ササも網目状に地下茎を伸ばし土壌を保全するが、そのササもシカの食害などが原因で姿を消し始めた。16年から防獣ネットを設置。山頂部は裸地が見えるまで衰退していたが、株が成長し、20年には植生が大きく回復した。
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山頂付近でコースの点検をしていた会のメンバーに出会った。「近くで絶景が見られますよ」。案内していただき北へ進むと、周囲を360度見渡せる「大窓」に着いた。南には琵琶湖が、北には敦賀湾が広がっている。峰をわたる涼風を受けながら初めての景色に見入った。
ここからは下り坂が続く。道沿いには紫色のリンドウや白色のセンブリの花が楚々(そそ)と咲いている。
坂の途中にユキバタツバキの群生地がある。多雪地帯に多いユキツバキと、太平洋側などの暖地に分布するヤブツバキが自然交雑してできた中間雑種。列島の南北領域の接点であるこの地域特有の植生だ。2月下旬から5月上旬ごろに赤やピンクの花を咲かせる。
「引き継ぐ会」の登録者は全国に約130人いるが、定期的に保全作業に携わるのは約30人。高齢化が進んでいる。運営費は、県や長浜市、地元自治会などでつくる「山門水源の森連絡協議会」の補助金や各種団体、企業からの寄付金、会員の年会費(2千円)などに頼る。人と財政の確保は今後の大きな課題だ。
会ではプロジェクト「山門水源の森2050」を進めている。様々な保全活動の洗い出しや植生に合わせたゾーニングなど、2050年の森のあるべき姿を検討するものだ。
「高度成長期以降、人が里山を利用しなくなって山が荒れたことと、シカの増加による食害の大きく二つの問題があった」。「引き継ぐ会」事務局長の冨岡明さん(54)はそう説明したうえで、「徐々に再生していく姿を見ると自然の力はすごいなと思う。私たちも元気をもらっている。その恩返しとして活動の記録を残し、生物多様性に富んだこの環境を若い世代に引き継いでいきたい」と話す。(平岡和幸)
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「奥びわ湖・山門水源の森~生物多様性の保全の20年」(ぺりかん社)は10月10日に出版された。「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」が、地域住民や行政などと連携し、賛同する企業の協力も得て進めてきた森の生態系の保全・再生の取り組みを、豊富なカラー写真とともに紹介。会や専門家、各団体が実施した、森で生息する生物に関する様々な調査データを収録する。会員や活動に携わった協力者らのコラムも掲載している。A5判、249ページ。2750円(税込み)。
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〈山門湿原〉 県内最大級の湿原で広さ約5・6ヘクタール。植生の違いから北部、中央、南部の湿原に区分けしている。一帯では多様な植物や昆虫、動物が生息する。滋賀県では全国で生息するトンボ約200種のうち約100種が確認されているが、この森では半数の約50種が生息する。年間数千人が訪れる。ガイド(有料)の予約も受け付けている。連絡先は事務局長の冨岡さん(090・2289・7663)。
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