長崎の「被爆十字架」、米大学にレプリカを贈呈 「原爆の証言者に」

核といのちを考える

田井中雅人
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 米軍による核攻撃で破壊された長崎・浦上天主堂の十字架が3年前、長年保管していた米国の大学から浦上に返還された。カトリック浦上教会(長崎市本尾町)の答礼巡礼団はこのほど、「被爆十字架」の実物大のレプリカ(複製)を作製して大学に贈呈。戦争の悲惨さを米国で証言し続け、日米の架け橋になってほしいとの願いを込めた。

 9月30日、米オハイオ州のウィルミントン大学平和資料センター。胎内被爆者の高見三明・名誉大司教(76)は被爆者の信徒ら5人とこの地を訪れ、縦94センチ、横30センチの実物大のレプリカを贈呈した。信徒らは被爆体験を語り、大学生らと交流した。

 レプリカを受け取った同センターのターニャ・マウス所長は、朝日新聞の取材に「ほとんどの米国の大学生は、広島・長崎への核攻撃は戦争を終わらせるためで、正当化できると考えている」と指摘。「ロシアがいま、核兵器の使用によって戦争を終わらせようとしている。この十字架のレプリカのように力強い物が、人間の行動に影響を与え、(世界の)政治的変化をもたらしてほしい」と語る。

 被爆十字架をめぐっては、米海兵隊員として45年10月から約3カ月間、長崎に駐留したウォルター・フークさん(2010年、97歳で死去)が、当時の山口愛次郎・長崎司教と親交を深め、山口司教とともに浦上天主堂跡で見つけ、譲り受けたとされる。フークさんはニューヨークの自宅で保管後、反核活動家の故バーバラ・レイノルズさんが設立した同センターに82年に寄贈した。

 フークさんも、長崎に駐留した同僚らが若くして次々とがんで亡くなったことをきっかけに、米政府に補償を求める活動を展開。太平洋ビキニ環礁や米ネバダ砂漠での核実験で被曝(ひばく)して健康被害を受けた退役軍人や遺族らとともに、88年の「放射線被曝退役軍人補償法」成立に尽力した。

 被爆前の浦上天主堂にあったものが、ほとんど残されていないことを知ったマウス所長が19年8月、被爆十字架を浦上教会に返還した経緯がある。

 今回渡米した一行は、フークさんの遺族とも面会。被爆十字架レプリカのミニチュア版を贈呈した。フークさんの次女メアリー・ジーン・ガーケンさんは、フークさんが長崎駐留中に撮った、女の子が自転車に乗っている写真のことや、「日本の人たちはすばらしく、とても友好的だった」と話していたことを紹介。「十字架は私たちの家にあり、いつも美しく、特別なものでした。これを独り占めせず皆さんと分かち合いたかった」と語った。

 帰国後の10月13日、浦上教会で報告会見をした高見名誉大司教は「私たちは罪はゆるすが、原爆を使用したことは、これからもゆるしてはいけないし、これから先も(核兵器を)使ってはならない」と強調。「被爆者は年々減っていく。被爆十字架のオリジナルとレプリカ、両方重要。日米の架け橋となり、原爆の証言者として十分な役割を果たしてくれると思う」と話した。田井中雅人

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