中国の江沢民・元国家主席が死去 経済発展路線、愛国教育を強化

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北京=冨名腰隆
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 中国の江沢民・元国家主席(元中国共産党総書記)が11月30日、白血病と多臓器不全のため死去した。96歳だった。1989年の天安門事件直後に党総書記に就き、2003年の国家主席退任まで中国の経済発展路線を推進した。引退後も党内に発言力を維持したが、近年は公の場に姿を現す機会は減っていた。

 国営新華社通信によると、葬儀委員会の主任委員を習近平(シーチンピン)国家主席が務める。追悼大会の日程は明らかにされていないが、大会まで天安門などで半旗を掲げるほか、追悼行事には外国政府などの代表を招かないことも発表された。

 江蘇省揚州市生まれ。上海市長や同市党委書記を歴任し、天安門事件後、最高実力者の鄧小平氏によって共産党総書記に抜擢(ばってき)された。89年11月に党中央軍事委員会主席、93年3月に国家主席に就いた。毛沢東、鄧小平両氏らに続く、第3世代の指導部のトップとなり、「上海閥」と呼ばれる幹部グループを率いた。

 政策面においては、鄧氏が敷いた改革開放路線を踏襲し、天安門事件後の西側諸国による制裁で混乱した経済を立て直した。私営企業家の入党に道を開く「三つの代表」を00年に提唱。毛沢東思想、鄧小平理論と並ぶ党の指導理論として党規約に盛り込まれた。

 外交面では対米関係を改善し、97年に国家主席として12年ぶりに米国公式訪問を果たした。一方、対日政策では歴史問題を重視し、抗日戦争の勝利を強調する愛国教育を強化。共産党の求心力維持の側面もあったが、中国内の反日感情を強める結果を招いた。98年に国家元首として初めて日本を公式訪問した際、宮中晩餐(ばんさん)会で歴史問題に言及し、日本国内で反発を呼んだ。

 02年に党総書記、03年に国家主席の座を、胡錦濤氏に譲った。04年には党中央軍事委員会主席も退任して完全引退した。軍や党内での発言力は維持し続け、胡氏から習氏への権力移譲のプロセスなどにおいても、一定の影響力を発揮したとされている。

 ただ、12年に習体制が発足した後は、習指導部が強力に進める反腐敗キャンペーンのなかで元党政治局常務委員の周永康受刑者(収賄罪などで無期懲役刑)ら、自らと関係の近かった元党高官の摘発が相次ぎ、影響力を弱めたとされる。

 19年秋の建国70周年式典…

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