中国共産党の最高指導者を務めた江沢民氏は、2004年に表舞台から退いた後も、党や軍の人脈を活用し、党内で一定の発言力を維持しようと動いた。だが、権力集中を進める習近平(シーチンピン)総書記を前に、晩年は影響力を失い、静かに生涯を閉じた。死去が中国社会に与える影響も限定的だとみられる。
11月30日夜、上海市内にある江氏の自宅近くは、人通りも少なく静まりかえっていた。自宅につながる道の前で、警備担当者が「この先は通り抜けられない」と記者を制した。近くの路上では、手に花を持っている人の姿も見られた。
江氏は自らが権力基盤とした上海の人脈を次々と登用し「上海閥」と呼ばれるグループを形成。総書記時代は朱鎔基元首相や曽慶紅元国家副主席ら上海時代の部下で周囲を固めた。引退後もこうした人脈を通じ、人事や政策に影響力を発揮したとされる。
胡錦濤(フーチンタオ)政権になってからは、胡氏や当時副首相だった李克強(リーコーチアン)首相ら共産主義青年団出身の「団派」が力を持つようになり、上海閥との間で激しい権力闘争が続いた。
この対立に終止符を打ったの…