「ミスターM―1」と呼ばれる、お笑いコンビの「笑い飯」。日本一過酷な漫才レースの決勝に9年連続出場し、2009年には審査員の島田紳助さんに唯一100点をもらった。ぶっ飛んだ狂気の漫才を放ちつつ、いつも何食わぬ顔でいる。ネタか、ほんまもんの真の“アホ”か。哲夫さん(47)、脳みそ覗(のぞ)いていいですか?
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――M―1の漫才師はアスリート並みにストイック。哲夫さんは違います。
「今は漫才師が真面目な顔して、めっちゃかっこよく映ってる。僕はアホをウリにしてるんで、真面目なとこはどうしても見せられなくて。カメラが回ってたら、すぐふざけてました」
――09年大会では、1本目のネタで紳助さんから100点をゲット。けれどその後、下ネタの演目で優勝を逃します。
「あれで優勝したらおもろいよな、と。地元の奈良の高校時代、サッカーでフリーキックする時、よう言われたんです。『チンポジ気にすな』って。営業では爆笑のネタやったんです」
「1」に執着した日々
――優勝へのこだわりは。
「『1』には執着してましたよ。テレビの音量上げる時も、いったん1にして上げ直す。チャンネルも1チャンにしてから。1は自分のもんや、と。(10年に)優勝するまでは」
――一方、「仏教マニア」として、独自のお笑い論をお持ちです。
「1人の存在と全員の存在を同一視する考え方が仏教にあります。1人の喜びは皆の喜び、皆の喜びも1人の喜び。悩みもそう」
「だから僕、自分だけスベってる時も、1人だけじゃないって思える。皆でスベってる。人のせいにできるのが利点ですね。すると前に出られる。ちゅうちょせずに」
「逆も真なりで、1人だけバーンとウケても、皆でウケてることになってまうんですが。『君たちがいて僕がいる』です。チャーリー浜さんのギャグは徳が高い。お寺の掲示板にも張られてたりね。1人で生きてるんじゃなくて、皆の営みの中で生かされてるって感じる」
「お笑いっていろんなルーツがある中、お寺の話が落語になっていったという話もあって。古来の宗教活動と芸能は切っても切れない関係性にあるんだろうな」
――おふざけの「冗談」という言葉も仏教用語だとか。
「悟りに向かってない話を、仏教では冗談っていうんです」
鼻くそと煩悩
――哲夫さんもよく、真剣な話から突然おならの話とかに脱線します。
「どうしても屁(へ)が好きなんですよね。みんなが出るもんって、やっぱおもろい。おならだって、鼻くそだって。出るんはおもろい」
――鼻くそは手につくと離れない。消しがたい煩悩と似てるような。
だれにもマネできない漫才はどうやって生まれるのか。創作の根っこにある体験を語ります。とてもプライベートな、けれどかけがえのないもの。エロと漫才の不思議な結びつきとは。記事後半で。
「ほんまそう。子どもの時…