分断だけが再燃した 原発計画40年 政権の「回帰」に町民の思いは

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太田原奈都乃
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 瀬戸内海に面した島々などからなる小さな町に、原発の建設計画が浮上して40年。東京電力福島第一原発事故後は「原発に頼らない町づくり」が模索されたが、いま政府の「原発回帰」に再び揺れる。町民たちは何を思うのか。

 穏やかな波が寄せ、漁船や貨物船が行き交う。山口県上関町。瀬戸内海に突き出た半島の端、長島との海峡に面した室津の漁港で漁師の小浜鉄也さん(64)に会った。

 毎晩、漁に出る。卸し先は、地元の直売所や広島県の市場。海峡やその近海は潮通しが良く、アジ、メバル、タチウオなど様々な魚が釣れる好漁場で、もうすぐフグやサヨリが旬を迎える。

 20年前、地区に100人ほどいた漁師は半減した。小浜さんと同じ60代以上が大半だ。

 町の人口は2427人(10月1日現在)。40年前の3分の1ほどに減り、高齢化率は約58%と全国的にも高い。小浜さんは「町がなくなってしまう」とため息をつく。

 原発の計画が持ち上がったのは1982年。当時の町長が誘致を表明した。

 長島の南端にある田ノ浦が予定地になり、2009年に準備工事が始まった。

 中国電力は海の埋め立てや温排水の影響の代償として漁協と補償契約を結んだ。小浜さんも約2千万円の漁業補償金を受け取った。

 「衰退する町を守るための手段になる」。建設計画がもたらす恩恵に期待した。

 2011年3月、福島の原発事故で状況は一変した。工事は中断され、国のエネルギー基本計画から原発の新増設の文字が消えた。ただ、中国電力は上関原発を変わらず「将来必要な電源」と位置付けていた。

 「原発ができるまでの間、町のためにいまできることをするのが責任だ」。小浜さんは、スーパーの店頭に立って水揚げした魚を自ら売り込み、週末は観光客に釣りを教えるツアーを開いた。反対派の住民らが取り組んでいた自然保護の活動にも加わった。

 一体、賛成なのか、反対なのか。そう聞かれる度に考えた。

 原発による風評被害は心配だ。「上関の魚はいらん」と言われれば、漁師としての命は終わる。それでも、人口減に歯止めがきかず衰退する町の「カンフル剤」となるのは、建設計画しかない――。

 だが、年月が経つにつれ、推進派の間でも諦めに似た雰囲気が漂っていた。

 今年8月、岸田文雄首相が原発の再稼働加速や新型炉建設の検討を進める考えを表明した。政府が鮮明にした「原発回帰」に、推進派の知人は「追い風」と色めきたった。

 10月。11年ぶりに行われた町長選で、推進派の候補が反対派候補との一騎打ちを制し、圧勝した。

 投票率は過去最低の74・97%。「何十年も経って、もうみんな関心が薄れてしまったんだよ。それなのに、分断だけが再燃した感じだ」

 原発建設の是非を巡り住民がにらみ合った40年。その中で、町の行く末への危機感がかすみ、議論がおざなりにされてきたと感じている。

 今も推進の思いは変わらない。それでも「本当に計画が進むのか」と懐疑的だ。「また何年先まで引っ張られるのか。都合のいい時に火をつけ争わせんでほしい」

 「原発に反対しに生まれてきたようなもん」。長島の戸津(へつ)地区に住む谷山松子さん(86)は、苦笑する。

 計画が持ち上がった当初から原発反対の運動に参加してきた。いまも他のメンバーの送り迎えで、月に一度の反対派の集会へ向かう。「原発さえなければのぉ」。活動を続けてきた仲間たちと言い交わす。

 始まりはデモ行進を見たことだ。腰の曲がった年寄りが「反対!」と声を張り上げていた。参加者の多くが建設予定地の対岸にある離島、祝島の住民であることにも驚いた。列に加わると「よう参加した」と喜ばれた。

 祝島出身の夫も「反対」だったが、推進派の多い職場にいた。デモから帰ると「反対してもええが、表には出んでやれ」と怒られた。夜中の無言電話など、嫌がらせもあったという。地域の行事から足が遠のき、親戚との行き来も減った。

 それでも、中国電力の関係者が建設予定地へ来ると聞けば、夜遅くでも山を越え、細い坂道を足を震わせながら下り、海岸で座り込んだ。

 町役場の前で3日間抗議を続けたこともある。「すべて上関を末代まで住めんような土地にさせないためだった」

 福島の原発事故後、推進派の近所の人から「原発がここに来んでよかった。あんたらが反対してきたおかげだ」とこっそり言われた。

 「これで上関も変わってくれる」と期待したが、国の「原発回帰」で町は元に戻ってしまったように見える。

 11年ぶりの町長選挙は、過去に幾度となく繰り返された対立の構図だった。谷山さんは告示の日、反対派の候補者の選挙ポスターを貼った。選挙カーの音が聞こえれば、急いで家の外に出て手を振った。

 結果、反対派は大敗。それでも「いつものことじゃけえ」と落胆はしていない。

 「戦わんと、反対の火が消えたような感じになる。同じ負けでも声を上げるのと上げないとでは違うんじゃ」

 夫は亡くなり、50代の娘と2人で暮らす。反対運動に顔を出すのは、地区では最後の1人となった。「平和で心穏やかにいられる日がほしい。原発の話がある限りなかなか来んですわ」

 祝島で暮らす木村力さん(7…

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