残り1分余、ドーハの悲劇がよぎった森保監督 後輩たちは冷静だった

有料記事森保ジャパン

ドーハ=勝見壮史
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 後半45分の後に追加されるアディショナルタイムは「7分」と表示された。

 砂ぼこりが漂う空気、スタッフから耳に入る他会場の途中経過……。

 1日、サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグE組最終戦。強豪スペインの猛攻に耐える日本の選手たちをピッチ脇から見守る森保一監督(54)の脳裏には、消したかった映像が浮かんできた。

 「ドーハの悲劇」だ。

 試合終了の笛が迫っていた。

 1993年10月28日。この日と会場は違うが、同じドーハの街での試合だった。W杯米国大会アジア最終予選最終戦。日本は終了間際にイラクに同点とされ、W杯初出場の夢はあと一歩のところで消えた。当時、チーム最年少の25歳。森保監督は選手としてピッチにいた。

 当時は、誰も世界を知らなかった。

 ハーフタイム。前半を1―0…

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