監督の娘に会うのが嫌だった あの元選手会長のほろ苦い高校時代

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構成・安藤嘉浩
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 プロ野球楽天でプレーするベテランの炭谷銀仁朗捕手(35)は、小学4年になる年の春、平安(現・龍谷大平安=京都)高校のユニホームを着て阪神甲子園球場のアルプススタンドにいた。

 「銀(炭谷選手の愛称)は4歳のころからぼくの家に出入りしとった。おやじはぼくの同級生なんで」と懐かしむ同校野球部の原田英彦監督(62)に、炭谷選手がどのように成長していったのかを語ってもらった。

 銀のおやじは平安の同級生で、応援団長やった。気の優しい、ホンマにええ男で、ぼくが1993年秋に監督になると、「応援する会」を結成して会長になってくれた。

 ぼくが監督として初めて甲子園に出場したのは97年春の選抜大会。当時は部員が2学年で21人しかいなかった。ベンチ入り16人(当時)に記録員、ボールボーイを出すと、スタンドに控え部員がほとんどいなくなる。

 それではいかにも寂しいから、うちの息子や娘にユニホームを着させて立たせた。同級生にも連絡し、子どもがおるやつに動員をかけた。

 その中に、銀もいた。

 銀のおやじはとにかく熱心で、この時も応援団の指導役をしてくれた。

 小学生だった銀も連れて、グラウンド(京都府亀岡市=当時)にもしょっちゅう顔を出していた。それで野球のことを色々と質問してくる。

 「息子を平安の野球部に入れたいんや。どうすればいい?」

 こんな話にもなった。

 ぼくは「肩を強くするんなら…

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