「震災と同い年」のプログラムで舞った羽生結弦 次は東京ドームで

山下弘展
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 2014年ソチ、18年平昌五輪金メダリストで、7月にプロ転向した羽生結弦さんの初単独アイスショー「プロローグ」が、5日、2都市5公演の最終日を迎えた。青森県八戸市であった最終公演では全10曲、2時間にわたって、満員となる3千人の観衆を魅了した。

 ショーの始まりを告げたのはソチ、平昌の五輪2連覇を果たした際の、平昌のフリー「SEIMEI」。競技会の場合は、同じ種類のジャンプは2回までしか跳べないが、プロならその制約は関係ない。

 最も得意とするトリプルアクセル(3回転半)ジャンプを3回跳んで、一気に「羽生結弦」ワールドへ引き込んだ。

 2曲目は08―09年、09―10年のシーズンのエキシビションで使用していた「Change」。勇壮かつ軽快な津軽三味線の旋律を全身で受けて舞う。

 「青森で、津軽三味線の音に乗せて演技できてうれしい」と演技後、息を切らせながら笑った。

 観客からのリクエストに応じて演じる内容を決めるコーナーでは、自分の意思を優先して、演技内容を変える一幕もあった。

 観客が最も多く希望したのは18―19年、19―20年シーズンのショートプログラム(SP)で使用した「オトナル(秋によせて)」。しかし、少し考えて羽生さんは言った。

 「個人的には『悲愴』をやりたいんですよね……。構成変更します。『オトナル』先にやります。体力使うので、トリプルアクセルを抜いて、ステップから。その後、『悲愴』」

 この「悲愴」を、八戸で演じたかった理由がある。

 2011年、東日本大震災で被災し、本拠としていた仙台市内のリンクが使えなくなった。練習場所の確保に苦労していたとき、八戸のリンクが声をかけてくれた。

 「きょうの会場とは違うリンクですが、『電気は使えないけど、滑っていいよ』と。換気のために開いた天井からの明かりだけでプログラムを作ったり、体力トレーニングさせていただいたり、本当に八戸にお世話になりました」

 そのとき完成させたのが、「悲愴」だったからだ。

 「この地でできたのはすごく自分にとっても感慨深いものがあります。震災があってすぐに作ったプログラムなので、震災と同い年。思い出して苦しませてしまうのは申し訳ないと思いつつ、でもそれがあるからこそ今があるんだとまた思っていただけるように。そういう演技ができたらなと思って滑らせていただきました」

 プロ転向後初のショーのタイトルは「プロローグ」。文字どおり、序章だ。すべてのプログラムが終わった後、会場の大型ビジョンには次回公演の情報が映し出された。2023年2月26日、東京ドーム。会場内はどよめきで満ちた。

 「いろんな方のお力を借りたり、また自分で構成を考えたりして、東京ドームでしかできないスケートって何だろう、と。それを東京ドームで見せたい」

 「GIFT」と名付けられた本編が、いよいよ始まる。山下弘展

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