16歳で被爆した祖父が言いたかったこと 24歳の記者が出した答え

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堅島敢太郎
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 太平洋戦争の開戦から8日で81年となる。記者の私(24)の祖父は戦争末期に米軍が投下した原爆で生死の境をさまよった被爆者だ。でも、ほとんど話を聞けないままに5年前に亡くなった。いまロシアによるウクライナ侵攻で、再び核兵器使用の脅威が高まっていると言われる。もう話を聞けない無念さを胸に、祖父の被爆体験をたどった。

 祖父の名前は堅島隆吉。第2次世界大戦の引き金となったといわれる世界恐慌が始まった1929(昭和4)年に熊本市で生まれ、終戦直前の45年8月9日、16歳のとき、長崎の軍需工場で被爆した。

 当時の話を小学3年のときに姉と一緒に聞いたことがある。残念ながらほとんど記憶にはなく、録音したカセットテープやノートは行方知れずだ。体験を孫に語ったのは、その一度きりだった。祖父は2017年に亡くなった。

 高松市平和記念館に相談すると「16歳で被爆」と祖父との共通点のある被爆者が香川県三木町にお住まいとわかった。長尾昭雄(てるお)さん(93)。全国に11万8千人(3月末現在)いる被爆者健康手帳所持者の1人だ。

 自宅で2時間にわたって聞いた話は衝撃的だった。

 長尾さんは1945年8月6…

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