母に手を引かれ逃げた3歳、9・11遭遇の被爆者、50年ぶり広島へ

有料記事核といのちを考える

福冨旅史
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 今年6月。記者の私は、核兵器禁止条約の第1回締約国会議を取材するため、オーストリア・ウィーンに出張した。日本から参加した被爆者や海外の政府関係者らを6日間にわたり取材したが、ある被爆者に話を聞けなかったことに悔いが残っていた。

 広島市西区西観音町の宮本季美枝さん(81)。ほかの被爆者のように被爆者団体の一員としてではなく、たった1人でウィーンに来たという。その理由を聞きたかった。

 「よく来てくれたわ」。11月下旬、宮本さんは自宅で記者を迎えてくれた。

 広島市江波町(現・中区)の祖母宅で3歳で被爆した。二つ下の妹をおんぶした母に手を引かれ、爆心地から西に約1・7キロ離れた自宅まで逃げたときの光景を記憶する。

 自宅は半壊。2人のいとこは近くの国民学校などで亡くなった。翌年、焼け野原に咲いたアサガオを見つけた。植物の生命力に感動し、幼い頃から生け花の稽古を続けた。

 広島大付属中・高を卒業し、京都外国語大へ。在学中に絵画や語学を学ぼうと、イタリア・ミラノや米テキサス州ダラスに留学した。帰国後は広島で英語教師をした。

 自動車販売会社の営業マンだった1歳上の夫、明(あきら)さんと知人の紹介で出会い、25歳で結婚した。明さんも被爆者で、日系米国人の父親を原爆で亡くしていた。明さんから「父親の母国に行きたい」と言われ、30代前半で米国への移住を決意。「世界の中心を見てみたい」とニューヨークで暮らし始めた。

2001年9月11日。宮本さんは米同時多発テロが起きる約30分前まで、世界貿易センタービルで働いていました。黒煙を上げるビルから走って逃げた後、原爆とテロを重ね合わせ、絶望を感じたといいます。

 37歳のころ、マンハッタン…

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被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[記事一覧へ]