社史がドラマになる会社 演劇と明太子の出会いが生んだ物語

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大鹿靖明
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 明太子(めんたいこ)のふくや社長、川原武浩(51)は修猷館高校時代に演劇に開眼した。演劇部に入り高3で脚本を書き始め、国学院大でも4年間演劇サークルに所属。留学先の英国でミュージカルや小劇場を堪能し、帰国後、福岡市の劇場「博多座」に就職した。

明太子をつくった会社④

福岡土産といえば博多明太子。広く知られるようになって半世紀が経ちます。いまも地域とともに歩み続ける「ふくや」の物語を伝えます。

 6年間いた博多座では接客やコンピューターシステムの管理を担当し、そのまま演劇畑で過ごすつもりだった。学生時代に劇団「針穴写真館」(現在は解散)を、さらに今も続く劇団「最新旧型機クロックアップ・サイリックス」を主宰。自ら脚本を書き演出もし、年に2~3回公演する。だから「明太子の『め』の字も知らず、社長になるつもりはありませんでした。それなのに創業家の人間だから戻ってこいと言われて」。ふくやに転じると、すぐ修業のためコンサル会社に出向させられた。

 彼が学生時代、福岡で頭角を現していたのが後に映画監督になる江口カンだった。「九州芸術工科大(現九大)にすごい人がいるぞって。有名人でした」と川原。2013年にふくや創業者が生誕100年を迎えるのを記念し、創業者の伝記の出版や工場に博物館「ハクハク」を開館することが決まった。「社史を編纂(へんさん)していると、面白いエピソードがたくさんありましてね。これドラマになったらな、と思ったんですよ」と社長室長の宗寿彦(54)。そんなときに川原が旧知の江口と中洲の居酒屋で一杯やった。「これからの地方テレビ局はもっと番組を作れないといけませんね」と川原。「実はウチの創業者がそろそろ生誕100年でして……」

 何げなく話したはずが、川原…

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