1998年1月1日、宝塚歌劇団の歴史が大きく動いた。花組、月組、雪組、星組に加えて、宙(そら)組が新設されたのだ。初代トップスターに就任したのは月組2番手だった姿月あさと。準トップには雪組2番手だった和央ようか、3番手には星組から湖月わたるが集った。33年以来65年ぶりの新組創設とあって、宙組は初公演となったミュージカル「エクスカリバー」とレビュー「シトラスの風」から大きな話題となり爆発的な人気を誇った。3人が集った際、当時の思い出を聞いた。
1999年から2002年までスポーツ紙の宝塚歌劇担当だった記者が、当時大変な人気だった宝塚歌劇団・宙組のトップ3にインタビューをしました。姿月あさとさんが、どんな思いで新組のトップを引き受けたのか。和央ようかさんは、どんな意気込みで組を引き継いだのか。宙組の最初の公演で冒頭に1人でステージに立った湖月わたるさんの心境とは……。時を経て2023年、宙組は25周年を迎えます。再集結した3人に話を聞くと、思い出話や公演に対する思いで盛り上がり、話が尽きることはありませんでした。
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――姿月さんは「新組が出来ます。トップになってください」と言われた時、どんな心境だったのでしょうか?
姿月 何度も何度も「お断りします」と言いました。本当に、それほど経験もなかったし、そこに行く勇気と実力がなかった。新組のトップを打診された時には「辞めよう」と思ったほどです。
だから基本的に、ずっとお断りをしていたのですが、最後にはやっぱり、幼い頃に宝塚歌劇に憧れて、「入りたい」と思って受験して、それがかなったことを思い出しました。「ここで逃げてしまうと、いつか絶対に後悔するだろうな」と思い至ったんです。
「小林公平さん、植田紳爾さんらとの議論の末に…」
ただ、簡単な決断ではなかっ…