ペンギンは平和主義者なんです 苦楽ともに半世紀、愛はいつまでも

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三沢敦
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 空は飛べない。陸ではよちよち歩き。だが、海に潜ると魚のようにすいすい泳ぐ。ペンギンって不思議な鳥だ。「長崎ペンギン水族館」で館長を務めた楠田幸雄さん(69)の目に映る彼らは「争いを好まない平和主義者」。苦楽をともにして半世紀、いまも「ペンギン愛」にあふれている。(三沢敦)

     ◇

 小さい頃から生き物が大好きでした。当時は長崎市内も自然が豊かで。メダカやドジョウ、フナ、カブトムシ、クワガタムシなどいろいろ捕まえました。家では金魚を繁殖させたり、屋根の上に小屋を作って伝書バトを50羽も育てたり。いつしか、生き物に触れ合える仕事がしたいと思うようになったんです。

 《高校卒業後、民間経営の旧長崎水族館に就職して主にペンギンを担当。オスのキングペンギン「ぎん吉」と出会い、不思議な魅力に引き込まれる》

 当時、ペンギンたちは南極海捕鯨船に捕獲されて日本に運びこまれるケースが多く、ぎん吉もその1羽。私より10年も早く水族館にやってきた大先輩でした。まだ若くて、やんちゃでね。新人の私はよく追いかけられ、つつかれたもんです。年とともに性格は丸くなっていったけれど、当時は頭があがりませんでした。

 《飼育係になって5年後の秋。ぎん吉の子どもになる「ペペ」の孵化(ふか)に立ち会う》

 卵が割れてペペが出てくると、職員3人ほどが1カ月間、交代でぎん吉夫婦の子育てを見守りました。胃の中でいったん消化して食べやすくした餌を、うまく口移しで与えられるだろうか。ヒナに異変はないだろうか。今のように監視カメラもありません。「寝ずの番」を決めて徹夜で観察し、記録しました。

 眠くてうとうとしていると、「ピーピー」と鳴き声がする。おなかが減ったという合図です。ガラス越しに飼育場をのぞくと、夫婦が交代でせっせと餌を与えている。鳴き声がやんで、また静かな夜が戻る。あーよかったな。胸がじんと熱くなりました。

 《それから約20年後、従業員が突然集められた。社長が10カ月後の閉館を告げた》

 長いこと経営は厳しく、施設の老朽化も進んでいた。でも、つぶれるなんて夢にも思いませんでした。この先、生き物たちはどうなるのか。ショックで許せなかった。「それはないでしょう」と社長に直談判しましたが、飼育課長の立場では限界がありました。

 ラッコやアシカなど多くの生き物が他の施設に引き取られ、同僚の大半も職場を去りました。私を含めて数人が清算会社にとどまり、それからの3年間、残されたペンギンたちの世話を続けたのです。

 閉鎖された館内は薄暗く、し…

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