第1回どん底から伝え続けた10分間の希望 震災リポーターは貝になった

有料記事阪神・淡路大震災

森直由
【動画】語れなくなった震災リポーター
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 古いカセットテープを再生して聞こえてきたのは、希望を伝える声だった。

 《全壊になった工場の中からミシンを1週間かけて取り出し、動くようになったんです。数日前から工場を動かしています。「カタカタカタカタ」というミシンの音が、心臓の鼓動のように聞こえます》

 阪神・淡路大震災から1カ月余り。当時47歳だったフリーアナウンサー、三条杜夫さん(75)は生まれ育った神戸市長田区を歩きながら、ラジオでそう伝えた。

 1995年1月17日に起きた大災害で6434人が犠牲になり、約10万5千棟の住宅が全壊した。インフラもずたずたになった。

 兵庫県は2月15日、被災者に生活情報などを伝える日本初の臨時災害放送局「FM796フェニックス」を開設した。三条さんはボランティアで毎日10分間、復興への歩みをリポートした。

 避難所の自治会長やボランティアの青年、子どもたち……。話を聞いた人たちは500人以上にのぼる。

復興への歩みを伝えていたラジオリポーターの三条さんはやがて口を閉ざします。「地獄」を見た記憶に向き合い、再び語り始めるまでの心の動きを追います。

 「1杯の水でも、分かち合って飲んでます。もう泣きたいけど、泣けない状態ですわ。つらさを通り越して放心状態で、どうしたらいいのか」

 震災の翌月に靴工場を再開させたばかりの経営者は、マイクに向かってそう話した。

 「炎の中で『助けて』と叫びながら亡くなった夫婦や子どものことが、いまも頭から離れません」

 苦しそうに、そう打ち明ける女性がいた。

「今年の桜は悲しくて…」 こうして私は口を閉ざした

 一時生き埋めになったあと…

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    長野智子
    (キャスター・ジャーナリスト)
    2023年1月16日9時55分 投稿
    【視点】

    「きれいごとばかり喋ったなあと。すべてを喋ることができないなら心の中に封をして閉じ込めよう思った」という三条さんの言葉が重い。災害が起きたとき、必要な情報に加えてメディアは絶望よりも希望を語ろうとする。ましてや伝え手も被災者であればなおさら

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