多言語のインターネットラジオ「FMわぃわぃ」は今年、開局から28年を迎える。
FMラジオとして神戸市長田区で放送を始めたのは1995年1月30日。阪神・淡路大震災が起きて、わずか2週間足らずだった。
「この辺りは一帯、空襲の跡みたいで、いつまでも地面がぶすぶすと熱をもってるようでした」
マイクや音響機器が並ぶFMわぃわぃのスタジオで、代表の金(きむ)千秋さんは28年前をふり返る。
1月29日夜、在日コリアン2世である夫が携帯ラジオを持って帰ってきた。長田の在日コリアンらがFMラジオ局を立ち上げ、試験放送をするという。
「聞こえるねえ」 夫が流した涙
須磨区の自宅は地震で全壊し、被害の少ない親の家に避難していた。停電の暗闇のなか、マンションの外階段に出て、ラジオの電源を入れた。
流れてきたのは朝鮮民謡「アリラン」だった。
「聞こえるねえ」
そうつぶやいた夫を見ると、涙を流していた。
驚いたが、声はかけられなかった。「公共の電波でルーツの言葉が流れることは、それほどに胸を打つんや」。日本人家庭で生まれ育った千秋さんには、そう推し量るしかなかった。
わぃわぃの前身となる「FMヨボセヨ」は、大阪の在日系FM局の支援で翌30日に始まった。長田には、地元のケミカルシューズ産業に携わる在日コリアンが多く住む。同胞に呼びかける放送をしようと、在日本大韓民国民団の支部で震災情報や韓国の音楽を流した。
2月に入り、千秋さんも夫の勧めで手伝うようになった。
番組では同胞の安否確認のため、「避難所でヨボセヨ(もしもし)と呼んだら、出てきてください」と呼びかけた。避難所名簿に通名(日本名)を書く人が多かったからだ。
背景には1923年の関東大震災時、デマをもとに多くの朝鮮出身者が殺された記憶がある。
長田の靴産業では、難民のルーツをもつベトナム人らもたくさん働いていた。多数の信徒を抱えるカトリック教会を拠点に、95年4月、支援者らがベトナム語放送「FMユーメン」を設立した。
この2局が合併して7月に生まれたのが、7言語放送のFMわぃわぃだ。
母語で被災経験語ることが心のケアに
千秋さんは韓国語番組で司会…

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