第4回デビューは3歳、和太鼓と生きてきた 24歳が見すえる祭りの未来
山深い集落に若者たちの力強いかけ声が響く。
テホヘー、テホヘ! テホトヘ、テホヘ!
太鼓を抱えながら軽やかに身を翻す。テンポが上がると、観衆も体でリズムを刻み始めた。
11月中旬、静岡県境に近い愛知県東栄町東薗目(そのめ)地区の花祭(はなまつり)。コロナ禍のため一般には非公開だったが、この「志多(しだ)ら舞」の登場に住民たちは高揚した。ここを拠点に全国で活動する和太鼓集団「志多ら」のメンバーが、地元で奉納する特別な舞い。花祭の花形の一つ、「三ツ舞」をアレンジしてできた。
30年前は「よそ者」だった
志多らの総合統括プロデューサー大脇聡さん(48)は、1994年に自らも初めて舞った光景を忘れていない。志多らのファンが近くで囲む一方、その外側で住民からヤジが飛んだ。しまいには別の舞いが始まってしまった。「売名行為だ」「花が志多らに乗っ取られる」とささやかれた。
愛知県の奥三河地方に700年以上前から伝わるとされる花祭。山深くにある東薗目地区で、祭りの担い手として活躍するのが「志多ら」の若者たちです。村にやってきた約30年前は、さまざまな反発がありました。
志多らは89年に愛知県小牧市で旗揚げした。翌年に生活と練習の拠点として東薗目の廃校に移った。ここで共同生活を送り、太鼓の練習に明け暮れた。岐阜県出身の大脇さんは、19歳で大学を中退し、志多らに入った。
まだバブル景気の残り香が漂うころで、熱海温泉(静岡県)のホテルでの公演のため1年もの間、地元を留守にした。そのため、「よそ者」の志多らは有名になれば出て行くと住民からはみられていた。
そんな中、当時の保存会長が祭りへの参加を促してくれた。住民に伝えたのは「不易流行」の4文字。新しい変化を取り入れていくことこそが、変わらない伝統の本質――。
若かった大脇さんたちも、そ…