第3回17年前のあの少年が 斎藤佑樹さん「野球がつないでくれた縁」
17年前の夏に、誰がこんなことを想像できただろうか。
一昨年限りで現役を引退した元日本ハムの斎藤佑樹さん(34)は当時を思い返し、声を弾ませた。「まさか、あの時の、あの少年が。これって、ものすごいストーリーですよね」
3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨む日本代表「侍ジャパン」。そのメンバーに大リーグ・カージナルスの外野手、日系人のラース・ヌートバー(25)が内定したことが11日に発表されたからだ。
2006年夏。斎藤さんは早稲田実(東京)のエースとして全国制覇を成し遂げた。大会後に、決勝で投げ合った駒大苫小牧(北海道)の田中将大(現楽天)らとともに、全国から編成された高校日本代表として米国へ遠征した。
その際、一部の選手を預かるホストファミリーを務めていたのが、カリフォルニア州のヌートバー家だった。
当時、ヌートバーは9歳。出会ったときは日本人の母・久美子さんのそばを離れず、照れ臭そうにしていた。それがストレッチの輪に加わるなどして徐々に打ち解けていくと、試合中に日本代表のベンチに入ってバットボーイ役を担ったり、ボール拾いをしたりするまでになった。
試合後は、選手たちと一緒に食事をし、写真を撮って回る。いつしかチームのマスコット的な存在になり、選手たちから愛された。選手全員のサインを書いた帽子もプレゼント。斎藤さんは「日本語はあまり話せなかったけれど、笑顔で近寄ってくるんです。当時からすごいイケメンでしたね」。一緒に写った当時の写真を見返して、なつかしんだ。
その日米親善試合には、侍ジャパンの栗山英樹監督(61)も、テレビ番組のキャスターとして現地を訪れていたという。斎藤さんは、うれしそうに想像する。「もしかしたら、球場で2人は『ハロー』くらいあいさつを交わしていたかもしれない。それが十数年後に同じ日の丸を背負う監督と選手の関係に。野球がつないでくれた縁ですね」
昨年末、ヌートバーの侍ジャパン入りの可能性が取りざたされると、「あの時の少年だよね?」「まじで?」「選ばれたら熱い!」。当時の高校日本代表メンバーでつくったLINEグループが、久々に活気づいたという。
斎藤さんは「僕はプロで日本代表になるのが夢だったけれど、かなわなかった。僕の代わりというのはおこがましいけれど、あの時の少年に僕の思いを託したい。夢を託したい。思いきってプレーしてほしい」とエールを送る。(山口裕起)
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