貴乃花が持ってきたもの 放駒理事長「横綱、どいつも変わっとる」
親方の指示で兄弟子たちが力士に暴行を加え、死にいたらしめたという前代未聞の力士暴行死事件が起きたのは、2007年だった。しかし、相撲界はさらに不祥事を重ねていく。
10年。まず、横綱朝青龍の暴行事件が発覚した。朝青龍は引退に追い込まれた。続いて、NHKのテレビ中継に映る「砂かぶり席」で暴力団が観戦し、刑務所で服役中の組員たちに「親分の姿」を見せていたことが発覚。そして、力士たちの野球賭博事件が発覚する。
57代横綱三重ノ海の武蔵川理事長は辞任に追い込まれた。後任理事長として協会改革を託されたのが、土俵も私生活も清廉で「クリーン魁傑」と呼ばれていた元大関魁傑の放駒理事長だった。
だが、相撲協会をさらなる不祥事が襲う。放駒理事長就任の半年後に八百長事件が起きた。放駒理事長は八百長の徹底調査を指揮し、関与した力士らの大量処分を決めた。しかし――。
放駒理事長の隣にいた、弟子で横綱の大乃国
放駒理事長のもと、当時の協会幹部には北の湖、三重ノ海、千代の富士、北勝海、そして貴乃花ら歴代横綱が並んでいた。協会の役員である「理事」だった貴乃花親方は八百長には無関係だったが、大量処分の方針が不服だとして、放駒理事長にいきなり辞表を持ってきたことがある。
「いい加減にしろ」と一喝し…
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