誕生日だったあの日の夜、このあたりの空が炎で赤く染まっているのが見えた。
そんな、焼け野原になったはずの神戸市長田区の鷹取地区は、すっかり片付いていた。がれきが撤去され、更地が目立つ街には、復興の槌音(つちおと)が響いていた。
「新長田に鉄人28号が建てられる」「こんな街に生まれ変わるんだ」。話を街の人たちから聞いては、日誌に書いていった。
28年前のあの日、三菱銀行兵庫支店は震度7の揺れで建物が全壊しました。当時、支店で働いていた行員たちは、自らの被災と街の復興にどう向き合ったのでしょうか。証言でたどりました。
1995年の阪神・淡路大震災で三菱銀行兵庫支店が倒壊した時、新入行員だった柳瀬忠弘(52、当時24)は、98年まで足かけ4年間、兵庫支店に在籍した。
震災の当初は、義援金の受け付けや公的機関の支援が伴う貸し付けの手伝いをしていた。その後、少しずつ商店主や税理士といった個人の顧客を任されるようになり、外回りの機会が増えていった。
97年3月に再建された新店舗でも働いた。
倒壊した前のビルの半分とな…

1.17 再現/阪神・淡路大震災
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