19日、異次元の少子化対策に向けた政府の会合がスタートした。児童手当の増額や所得制限の撤廃について議論していく。
最初は月3千円だった
これまでを振り返ると、児童手当として渡すお金を増やす政策は、少子化対策の「定番」だ。SNSで話題の「所得制限」は、自民党と旧民主党が火花を散らしたテーマでもある。根っこには「子育てを社会がどこまで支えるか」をめぐって、価値観の違いがあった。
「わが国の社会保障の体系の中で欠けていた制度」
児童手当が始まったのは1972年1月。当時の佐藤栄作首相はそう称した。
ただ、開始当初の対象は「5歳未満」かつ「第3子以降」に限定。金額も月3千円だけ。最初から所得制限もあった。
その後、時々の政治や経済の状況を反映して、縮小と拡大を繰り返す。
オイルショック後の80年代には、日本経済の低迷を受けて所得制限が強化された。
子ども手当vs児童手当
逆に2000年には、今と同様に少子化対策の柱に位置づけられ、「3歳未満」だった支給対象を「小学校入学前」まで広げた。
大きな転換点となったのは政権交代だ。
旧民主党政権(09~12年)は、それまでの児童手当の代わりに、所得制限のない「子ども手当」の創設を看板政策に掲げた。09年の政権公約には月2万6千円の支給をうたった。
「社会全体で子どもの育ちを支えるという考えを反映した政策だった」
元厚生労働相の長妻昭氏はそう振り返る。
結局、財源を確保できずに世論の失望を招く中、子ども手当は半額の月1万3千円で始まった。従来の児童手当と比べ、対象を広げて中学生も対象になった。
一方で子ども手当の財源確保や「控除から手当へ」という政策を進めるため、15歳までの子どもを育てる人にとって減税となる「年少扶養控除」の廃止も決めた。
その後、旧民主党は10年の参院選で惨敗。参院で主導権を失い、野党の自民、公明両党の意向に大きく左右される状況となり、子ども手当も様変わりしていく。
議場に響いた「決別宣言」
11年8月の自民・公明との3党協議で、子どもの年齢に応じて異なる支給額に変更。さらに所得制限がない点も自民党の標的となった。
後に厚労相になる田村憲久氏…