「東京物語」と競輪の謎… 名作誕生前、小津安二郎の心を読み解く
「東京物語」と競輪――。今年、生誕120年を迎える映画界の巨匠小津安二郎(1903~63)の最高傑作をめぐる謎解きに、映画評論家の吉村英夫さん(83)=津市=が挑んだ。シナリオづくりの大詰めの一時期だけ、なぜ競輪にのめり込んだのか? 小津が残した日記に登場するエピソードを研究者はなぜ取り上げてこなかったのか?
映画「東京物語」は、10年ごとに実施される世界の映画監督の投票による世界映画史上のベストテンで、2012年に第1位、昨年は日本映画では最高の4位に輝いた。吉村さんによると、小津は、シナリオの共同執筆者、野田高梧(こうご)(1893~1968)とともに53年2月に構想を練り始め、4月8日に本格的な執筆に着手。神奈川県茅ケ崎市の旅館「茅ケ崎館」で合宿しながら5月末にシナリオを仕上げたとみられる。7月から10月にかけて撮影し、11月3日に映画が公開された。
〈小津安二郎〉三重県の旧制宇治山田中(現・県立宇治山田高)出身で、青春時代を三重県の松阪市、伊勢市で過ごした。戦前戦後を通じて家族のあり方をテーマに数多くの名作を撮った。代表作「東京物語」のシナリオ共同執筆者の野田高梧は、旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高)の卒業生。
吉村さんは、小津が手帳にきちょうめんに書き記した記録(33~63年、欠落している年もある)をまとめた「全日記 小津安二郎」(フィルムアート社刊)を読み返しているうちに、奇妙なことに気づいた。
「東京物語」のシナリオ執筆をしていた一時期、3週間ほどの期間だけ、競輪の記述が集中して登場するのだ。
〈平塚の競輪……いゝ加減に十枚程(ほど)買つてみる 千六百六十円のが二枚当る〉
〈競輪十四枚程買ふ 五レースのうち四レース当る 五百円のプラス 通計三千七百三十円プラス也(なり)〉
こんな記述が数十カ所に出現する。野田の日記にも、この時期、競輪にのめり込んだことが書かれている。
「小津の日記に競輪の話が出…