もうすぐ節分 「鬼」って何者? 群馬県で考えた
もうすぐ節分。子どものころ、家族が交代で赤い鬼の面をかぶり、豆をまき合ったのが懐かしい。でも、どうして「鬼は外」と言って豆をぶつけるのだろう。ぶつけられる鬼が可哀想な気もする。鬼石(おにし)町(現・藤岡市)や溶岩流が固まった「鬼押出し」など、鬼とゆかりの深い自治体や観光地がある群馬。そもそも鬼とは何者か。
牛のような角。口からは鋭い牙。腰には虎の皮のふんどし――。
鬼と言うと、そんなイメージが思い浮かぶ。「理由は古代の方術『陰陽道(おんみょうどう)』にある」と芸能研究家の上島敏昭さんは説く。
「妖怪や死霊が出入りする方角は『鬼門(きもん)』と呼ばれ、北東(丑寅(うしとら))の方角とされてきた。なので、鬼のイメージに牛と虎の特徴が採用されたのではないか」
「魔界と妖界の日本史」(現代書館)の著書もある上島さん。飛鳥時代の661年、笠をかぶった鬼が、斉明天皇の葬儀を山から見ていたという「日本書紀」の記述に注目する。
「死の原因は、蘇我氏の怨霊とうわさされた。鬼に野辺送りされ、怨霊からは解放されたのだろう」
天狗(てんぐ)や河童(かっぱ)とともに日本三大妖怪にあげられる鬼。中国では死者や死後の霊を意味し、日本語の「オニ」は山で暮らす人々などをさしていた。10世紀の漢和辞典「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」によると、漢字で「於爾(おに)」と書く。物に隠れ、形が現れることを望まない「穏(おん)」がなまったという。一方、中央政権の支配に抵抗した人たちを「鬼」と呼び、征伐の対象にしたという悲しい歴史もある。
◇
群馬県南西部にあり、2006年1月、藤岡市に編入合併された旧鬼石町。鬼の字が入った、全国でも数少ない自治体だ。
語源は諸説あるが、山に住んでいた鬼が人里へ下りてきては田畑を荒らし、人々に危害を加えていたという。困った村人は、旅の途中で立ち寄った弘法大師に退治を懇願。読経し、護摩をたくと、鬼はたまらず大きな石を投げ捨てて逃げ去ったと伝えられる。
その石の落ちた場所が鬼石町だったという。石は鬼石神社のご神体として住民の信仰を集めている。
旧鬼石町には「鬼恋節分祭」という伝統行事がある。豆まきで追い出された全国の鬼たちに、「鬼よ、来い」と呼びかける全国でも珍しいイベントで、町おこしも兼ねて1992年に始まった。掛け声は「福は内、鬼は内」だ。
◇
前橋市朝日町4丁目の工房「でくの房」。ここでは木彫・絵本作家の野村たかあきさん(73)が、鬼の木彫り人形や木版画を制作している。「鬼は春を告げる神様。身近な存在として人々に慕われてきたのです」と話す。
「鬼の居ぬ間に洗たくより鬼の居る間の贅沢(ぜいたく)」「七転び八起鬼」「笑う門には福来たる。笑った鬼は服着てる」など、鬼にちなんだダジャレやコピーを書き添えた絵はがきなども制作してきた。桃太郎や、京の都で語り継がれてきた酒呑童子のような鬼退治伝説ではない。嫌われ役の鬼がユーモラスに表現されている。
中学生のころから、木彫りや版画が好きで、将来は趣味と実益を兼ねた生活をしたいと思っていたという野村さん。カネコ種苗(前橋市)で働きながら独自に創作活動をしてきたが、1983年、長男の誕生日プレゼントに作った絵本「ばあちゃんのえんがわ」で講談社絵本新人賞を受けた。これがきっかけで独立。サラリーマン生活に終止符を打った。
鬼をテーマにするようになったのは、江戸初期の絵師・俵屋宗達が描いた風神雷神にひかれ、「人間になりたいと願う鬼を作りたい」と思ったからだ。「鬼は架空の存在だから自由な発想で作れる。どんな人が見ても『こんな鬼はいねえ』などといえない。言葉は悪いが、好き勝手に作れるのが面白い」と野村さんは話している。(編集委員・小泉信一)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。