ミャンマー国軍がクーデターを起こしてから、2月1日で2年。反発する市民は弾圧され、人権団体によると、これまでに2800人超が殺害された。汚職などで訴追された民主化指導者アウンサンスーチー氏に対しても、昨年末までに計33年の刑期が言い渡された。5回連載の初回では、抑圧を嫌い、国を去っていく若者の姿を追った。
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「ここから先は歩きだ。速く歩ける者、ゆっくりしか歩けない者。ふた組に分かれてくれ」
昨年10月21日夜。
月明かりも差し込まないミャンマー南部の森の奥深く。
ブローカーの男は、集まった12人の男女に指示した。
12人はこれから国境地帯の山中を進み、タイに不法入国しようとするミャンマー人だった。
10代から中高年まで年齢層は幅広い。
会話は少なく、互いの素性もよく知らない。
ブローカーが手配したバイクに乗り、それぞれこの森の奥までたどり着いた。
元教師カップル、過酷な国境 「スマホ使うな」
中部マンダレー出身の女性(27)と男性(24)は、速く歩ける方の組に入った。
ともに高校教師をしていた恋…
- 【視点】
スウェーデンの独立研究機関「V-Dem研究所」が公表した政治体制についての調査では、ミャンマーは国民が複数政党による選挙を通じて政府の最高責任者や立法府を選ぶ権利を持っていない「閉鎖型独裁」に分類されています。同報告書では、「自由民主主義国
- 【視点】
私がギリシャ赴任中に出会った多くの難民、移民は多くがアフガニスタン、シリア、パキスタン、そしてアフリカからの人々でしたが、ミャンマー人もちらほらいました。その際聞いてきた、海越え山越え、命からがら避難してきた道のりと重なる記事でした。