第8回事故直後、自民も賛成した原発規制の大転換 旧民主・荒井聰氏の憂い

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聞き手・今泉奏
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 岸田政権が進める原発政策の大転換。東京電力福島第一原発事故が起きた直後に、菅直人首相(当時)の側近として事故対策チームを率いた荒井聰・前衆院議員に話を聞いた。

 ――事故対応のプロジェクトチーム(PT)を任されました。

 「座長は、首相だった菅直人から頼まれた。ほかにやる人がいなかったんだな。議員はみんな逃げていた。あまりにも難しすぎる仕事だったから。ケンカ状態だった小沢(一郎)グループからも優秀な議員を集めた。危機管理として厳しいことは敵対する人とも一緒にやらなきゃいけないと考えていたからだ」

 ――当時は運転開始から40年を超える場合、経済産業省からの報告を受けて国が認可する仕組みでした。

 「福島の原発事故は、稼働して40年を迎えるころに起きた。40年を超えて10年の運転延長を認可したのは民主党政権だった。あのとき閣議に参加した人は、みんな責任があると思う。その反省もあり、厳格に40年を守っていれば事故は起きなかったという後悔が、ものすごく強かった」

 あらい・さとし 1946年北海道当別町生まれ。東京大農学部を卒業し、農林水産省に入省。北海道知事室長を経て、93年に日本新党から衆院議員に立候補し初当選した。民主党の結党から参加し、同党政権で首相補佐官、国家戦略担当相などを歴任。2017年の衆院選で民進党から立憲民主党に移り、8期目の当選。21年の衆院解散に伴って引退した。

「原発回帰」へ動いた野田政権

 ――PTでは、原発の運転期…

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    市田隆
    (朝日新聞記者=調査報道、経済犯罪)
    2023年1月25日17時47分 投稿
    【視点】

    東京電力福島第一原発事故の対策チームを率いた荒井前衆院議員へのインタビュー記事を読み、原発回帰を進める政府や経済産業省の動きへの違和感の理由がわかったような気がした。 荒井前議員は「でも、いまも僕は事故の処理中だと思っている。収束していな