「想像していなかったものが出て、言葉が出ないほど驚きました」。全長2メートルを超える巨大な剣に、盾の形をした異形の鏡。奈良市の富雄丸山古墳で出土した前例のない副葬品に、古墳の研究者らも驚きを隠せなかった。「被葬者を邪悪なものから守るため」「農耕儀礼に使われたのでは」。様々な仮説が飛び交う。
国内最大の円墳・富雄丸山古墳で、過去に類例のない盾形銅鏡、過去最大の鉄剣が出土しました。発見時の状況とともに、専門家の見方を紹介します。
昨年12月、同市埋蔵文化財調査センターの村瀬陸さんは、同古墳の造り出し(突出部)で見つかった、木棺を粘土で覆った「粘土槨(かく)」と呼ばれる埋葬施設を慎重に掘り下げていた。金属探知機で事前に調べて、強い反応が出た部分があった。
「刀剣や矢じりが大量に出てくるかも」。しかし次第に姿を現したのは、人の背丈を超える長さの1本の鉄剣。しかもその下に、見たことがない形の銅板が顔をのぞかせていた。
盾形銅鏡は「国産」か? 文様が示すもの
銅板の中央には円形の銅鏡と同じ形の鈕(ちゅう)(つまみ)がある。上下に並んだ円形の文様は、体をうねらせた龍を浮き彫りにした「鼉龍(だりゅう)鏡」にそっくり。その周囲は「鋸歯文(きょしもん)」と呼ばれる三角形の模様で埋められていた。
鼉龍鏡は「倭(わ)」と呼ばれた日本で生まれた鏡で、この盾形銅鏡も倭鏡(国産鏡)の可能性が高い。「古墳時代青銅工芸の最高傑作と言っていい」。同センターの調査や保存処理に協力する奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)の岡林孝作副所長は、興奮した様子で語った。
鏡も盾も、被葬者が安らかに眠れるように、近づく邪悪なものを退ける「辟邪(へきじゃ)」の願いを込めた副葬品とされる。
記事の後半では、1)盾形銅鏡の特異性、2)巨大な蛇行剣の意味、2)国内最大の円墳は誰の墓だったのか--について専門家の見解が紹介されます。
盾形銅鏡はその二つを合わせ…