芸術を志す君たちへ 東京芸大学長、日比野克彦さんが贈るメッセージ

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 己の技術を磨くのみならず、社会を育て、自らも育てられるアーティストになってほしい――。昨年4月から東京芸術大学の学長に就任したアーティストの日比野克彦さんが、アートの世界で働きたいあなたにいま、心からのメッセージを送ります。(聞き手 編集委員・吉田純子)

 ――昨年の末、3年ぶりに年末恒例の「芸大メサイア」が開催されました。始まりは1951年。作曲者のヘンデル自身が、ロンドンの児童養育院に寄付するために「メサイア」を演奏したという史実が、芸術と社会の接点を模索する同イベントの礎となったと伝えられています。日比野さんは芸大のデザイン科を卒業されていますが、「芸大メサイア」のことはご存じでしたか?

 いえ、知らなかったんです。当時の「メサイア」演奏が、現代のチャリティーコンサートの先駆けだったということも、今回初めて聞いてびっくりしたくらいで。

 もったいないですよね。僕だけじゃなく、福祉を目的として続いてきたコンサートがあるということ自体、知らない人が多いんじゃないかな。自分たちが演奏した結果が、聴く人の主観的な喜びとなるだけじゃなく、実際に福祉という「かたち」となって社会のなかで実っているんだという実感を持たせることは、教育現場において、とても大切なことだと僕は思います。

 ――日比野さんはアトリエや美術館を飛び出し、瀬戸内国際芸術祭や新潟での「大地の芸術祭」などで、環境とアートの多様な化学反応を試みています。「場所」を発想の起点とし、そこで生活する人々と一緒にものを作ってゆく。「社会とつながる」という日比野さんのビジョンの中に、美術と音楽の学生の連なりというものもあるのでしょうか。

 芸大はいま「SDGs×ARTs」というプロジェクトを進めていて、美術の場合は作品が目に見えるかたちになりやすく、環境問題とか人権とか貧困解消とか、そういうものにつながっているということがイメージしやすい。でも音楽の場合、なかなかイメージするのが難しいなと思うことが多いですね。

 でも僕、音楽の人がうらやましいと思うことがよくあるんです。音楽って基本ライブでしょ。観客と、「時間」を共有することができるじゃないですか。

 一般的な美術の世界では、陶芸にせよ絵画にせよ、作品をつくっていて「あー、ここが一番面白いのに、ここを見せたいのに」なんて思うことがよくあります。だから僕は、作品をつくるプロセスを公開するようになったわけだけど。

 ――完成形より、プロセスでつながってゆく。自分たちがつくっている演奏や作品がどこに届き、どんな化学反応をもたらすのか。「術=スキル」を磨くばかりではなく、そのあたりを伝えることも、これからの芸術教育の重要な任務であるということですね。

 1980年代以降、日本にも音楽ホールや美術館がたくさん建てられました。美術館の場合、ルーブルにまで行かなくても地元で名画や名品に出会うことができるという、ある種、啓発的な役割が大きかったわけです。

 でも21世紀になると、美術館の使命も、さまざまな社会的な課題に対してアートに何ができるのか、そこに挑んでいくというところに変わってきた。音楽の現場もきっと、似たようなものですよね。

 背景には、資本主義や物質文明だけでは心が豊かにならないっていうことに、世界中の人たちが気付き始めているということがある。つまり、芸術文化の働きが、これまでになく注目されるようになってきたということです。

 僕らはいま、とても重要な転換期に立っているのだと思います。本来のアートの力っていうものが重要になる時代が、これから本格的にやってくる。トップアーティストばかりじゃなく、社会の中で豊かに自分の人生を生き、その結果として多様な社会を築く一員となる、そんな新しい時代のアーティストを育てていく。そういうことを意識した発信、教育、人材育成をしていかなきゃいけない。人間を育てることが僕らの使命なんだと、もっと高らかに発信していけたらと思っています。

 振り返ってみたら、いわゆる…

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