阪神・湯浅、夢の侍入りであの人と同じ「22」に オフに見えた決意
小さい頃からの夢へ、一見すると遠回りでも、こつこつと努力してきた。プロ野球・阪神タイガースの右腕、湯浅京己(あつき、23)のことだ。
三重県尾鷲市で生まれた湯浅は、法政大、社会人と野球を続けた父・栄一さん(51)の影響もあったのか、幼少期から野球が好きだった。
「バットとボールがあればいいという子だった。友達と遊ぶためにゲームを買ってもすぐに飽きて、『外に行こうよ』と友達を引っ張り出していた」と母・衣子さん(50)は話す。保育園にもバットを持って登園したほどだった。
小学校の頃には「JAPANに入りたい」と口にしていたという。
福島・聖光学院高に進んだが、入学直後から腰痛に悩まされ、1年半近く野球ができなかった。最後の夏は福島大会で背番号「18」をつけたが、甲子園ではメンバーを外れ、打撃投手としてチームを支えた。
独立リーグのBC富山で1年で結果を出し、2018年秋のドラフト6位で阪神に入団したが、プロ入り後も度重なるケガに悩まされた。
それでも腐らず、「今までの自分よりも成長した姿で復帰する」と自分に言い聞かせ、トレーニングしてきた。
これまでの努力が、昨季、実を結んだ。
開幕1軍スタートを切ると、セットアッパーとしての地位を確立し、最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。昨年11月には侍ジャパン(日本代表)にも呼ばれた。
強化試合では2試合に登板し、2回無失点。上々の代表デビューだったが、浮足立つことはなかった。
「球速は求めていないので、打者が打ちづらいキレのある伸びのある自分のボールがもっと投げたかった」
「ロジンもベタベタしていて(シーズンで使うものとは)違う。感覚とか、試合でしか分からないところがたくさんある」
冷静に次を見据えていたのが、いかにも湯浅らしい。これまでも、何度もケガに泣かされながら、そのたびに復帰後の姿を思い描き、大きく気持ちが乱れることがなかった。
小さい頃から憧れていたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の舞台へ。26日に代表の最終メンバーが発表され、背番号は「22」に決まった。
阪神OBの藤川球児さんがWBC第2回大会でつけた番号だ。
「リリーフやってるからには追いつき、超えていかなければならない背中だと思っている。自分の覚悟の意味を含めて選びました」
昨年11月の契約更改の際には、すでに青写真を描いていた。
「メジャーでバリバリやっている選手たちと(対戦)できるのは楽しみでしかない。でもWBCだからといってやることは変わらないと思う。本当に自分の持っているものを全て出すだけ」(大坂尚子)
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