Web3.0の本質は「ある種の社会運動」 今は分岐点かもしれない

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神里達博の「月刊安心新聞+」

かみさと・たつひろ

1967年生まれ。千葉大学大学院教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「リスクの正体」など

 昨年秋、米国大手SNSのツイッター社が、電気自動車のテスラを率いるイーロン・マスク氏の手に渡った。混乱はまだ続いているようだ。また同じ頃、仮想通貨(暗号資産)交換業大手FTXトレーディングが、兆円単位の負債とともに破綻(はたん)した。

 SNSも仮想通貨も、近年のITやネットワークの発展を牽引(けんいん)してきただけに、世界中が驚いた。

 一方で、最近「Web3・0」という言葉もよく見聞きするようになった。字面からは、ウェブに関する新技術のようにも見えるが、そういうことではない。ここで言う「Web」は、インターネット全体を象徴するワードと考えるべきだ。そこから見えてくる新しい世界は、むしろ「革命的」という言葉が似つかわしい。

 そこで今月は、このWeb3・0を手がかりに、ネット社会の近未来を若干展望してみたい。

 歴史的に見れば、インターネットは1995年頃から普及した。この時期が、言わば「Web1・0」の段階である。低コストで情報発信が可能になったこと、そして様々な情報を誰もがほぼ無料で得られるようになったことは、まさに画期的であった。またこの頃は、良い意味でも悪い意味でも、ネット空間は自由だった。ある種、牧歌的な「ネットの黎明(れいめい)期」だったと言える。

 しかし、利用者や流通するデ…

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