船で1800キロ、命がけの旅 「大ばくち」からうまれた街の行列

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寺島笑花
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 長崎市内中心部を彩る約1万5千個のランタン。1月22日に始まった「長崎ランタンフェスティバル」に、多くの観光客が訪れている。

 見どころは夜だけではない。

目玉イベント「媽祖行列」

 太鼓の音が鳴り響く。現れたのは黄金に輝く「赤鬼」と「青鬼」。武器を片手ににらみをきかせ、力強く舞う――。

 ランタンフェスの目玉の一つ「媽祖(まそ)行列」。中国の民族服を身にまとった総勢100人を超える行列が街中を練り歩く。新型コロナの影響で3年ぶりの開催で、今年は29日と2月5日にある。本番に向けて、市民らが熱の入った練習を続けている。

 媽祖行列は、江戸時代の長崎で実際にあった慣習を再現したものだ。

 当時、中国からやってくる唐船には、航海安全の女神「媽祖」がまつられていた。媽祖は福建省に実在したとされる女性で、不思議な力で人々を海難から救ったとして信仰が広がったと言われている。

 長崎の港に着くと、船から媽祖像がおろされ、出航まで寺に安置される。乗組員らによる寺への送り迎えが、媽祖行列と呼ばれた。

 この媽祖行列は、市民たちの「大ばくち」から生まれた。

 1982年、299人が犠牲になった長崎大水害。「みんな落ち込んでいた。長崎のために、何かしてやらんばと思った」。現在、媽祖行列を運営する長崎ネットワーク市民の会の会長、鬼永(きなが)武さん(74)は振り返る。

 思いついたのが「唐船の復元」だった。貿易で栄えた時代のように長崎を元気にしたい――。市民ら20人が賛同し、立ち上がった。

記事後半では、中国に実在したとされる「媽祖」をめぐる物語や、行列にかける市民らの思いをお伝えします。

 寄付などで資金を集め、中国福建省の造船会社に木造船を発注。調整のため、鬼永さんが現地に住んだ。言葉も分からないまま海を越えて、計1年半。「行き当たりばったりの大ばくちだった。でも、長崎への気持ちがものすごくあったっさ」。船にのせる媽祖像は、福建省の本山から譲り受けた。

 「飛帆(フェイファン)」と名付けた船は89年に完成。江戸時代の商人らが命がけで渡った海を、1週間かけて鬼永さんも飛帆で渡った。

 鬼永さんが「忘れもしない」…

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