足利の幻の野菜「しも菜」、97歳が守る
栃木県足利市周辺で親しまれてきた郷土野菜に「しも菜」がある。両毛地域で親しまれる菜の花の一種「かき菜」の変種と言われ、濃い緑色と軽い苦みと甘みが特徴だ。地元では正月の雑煮用には欠かせない青みだったが、いまでは生産農家はごくわずか。それでも97歳のベテランを筆頭に、「幻の野菜」の伝統を守り続けている。
今季、しも菜を卸売市場に出荷しているのは、市内の助戸2丁目の梅沢信助さん一家だけになった。かき菜は葉をかき取って、何度も収穫するのが一般的だが、しも菜は根元で切り、収穫は1回だけ。長さは20センチほどだ。
現在のように水耕栽培の三つ葉やセリの流通が当たり前でなかった時代には、かき菜の収穫が本格化する前のいまの時期、しも菜は貴重な野菜だった。霜が降りるこの時期になると甘みが増す。しも菜と呼ばれる由来だ。
しかし、育て方が難しく、作付け農家が減り、今季は梅沢さん一家だけが足利丸足卸売市場に出荷している。
「うまいし、この時期には欠かせない大切な菜。守っていきたい」と話す梅沢さんは97歳。戦時中に横須賀海軍工廠(こうしょう)で空母「信濃」の建造に徴用された時以外は、いまに至るまで農業ひと筋だ。今年は約5アールの畑で栽培した。
「しも菜は種まきの時期と葉を青黒く仕上げるのが難しい」と話す。需要の多い年末に合わせて種をまくものの、暖冬になれば伸び過ぎてしまい、葉が黄色くならないように気を配るという。
もう一つ、神経を使うのが種採り。アブラナ科の植物は交雑しやすい。畑の近くにある渡良瀬川や旧袋川の土手には春先、菜の花が咲き誇る。しも菜の花粉と混ざらないように注意を払う。種を採る株は、虫対策で農作物を覆う「寒冷紗(しゃ)」をかけて守る。「どこでも種子は売っていない。本来の姿を守るのは大変」と梅沢さん。長男の義雄さん(72)ら一家総出の農作業だ。
今年は出荷できなかったものの「来年はぜひ」と話すのは、市内の朝倉町の坂本俊雄さん(74)。宅地化が進むなかで畑を守っている。「この冬は種が古くて発芽しなかった。次の冬は再び出荷したい」と話す。
梅沢さんが出荷している足利丸足卸売市場の橋本伊佐男・足利青果社長は、しも菜について「作る農家が減って、若い世代は知らない野菜になってしまった」と話す。それでも年配の人には懐かしい味。特に正月用には1把で約400円の値が付くという。
いま、しも菜を扱っているのは、足利市内では朝倉町の山清フードやイケモリストアくらい。「あとは個人の八百屋さんにあるかどうか」と話すのは山清フードの山口光雄さん(46)。「お年寄りからの注文が多い。生産者が少ないのがネックですが、市場にあれば必ず仕入れます」
県安足農業振興事務所の吉田剛・園芸課長は「かき菜と違って、しも菜は葉が大きく、茎が太い。野性的な感じがする」。名前は耳にしていたそうだが、今回、初めておひたしにして食べた。「すぐ火が通って柔らかい。軽い苦みがあるけれど、おいしい青菜だ。大切な郷土の野菜。これからも大事に育てていってほしい」と話していた。
一方、両毛地域で生産される「かき菜」は、菜種油用在来種の「ナタネ」、飼料用に1930年から導入が始まった「洋種菜種」、群馬県農業試験場で生み出されたといわれる野菜用の品種「CO3号」がルーツではないかと言われる。
JA佐野のかき菜部会では、1986年から独自に種を採り、生産者に分配している。地元の特産野菜「佐野そだち菜」として売り出している。(根岸敦生)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。