学校を辞めて開いた不登校の子の居場所 「第二の実家」と呼ばれて
【香川】不登校の子どもが増える今、学校以外での学習機会や居場所の確保が求められている。高松市内の住宅街にある「まなびやもも」には様々な事情を抱えた子どもたちが集う。4年半前に夫とともに開設した元教員の伊澤絵理子さん(32)には、特別な思いがある。
――「もも」では、どんな活動をしているのでしょうか
夫の祖父母がかつて住んでいた古民家を改修して、安心できる居場所づくりと学習支援をしています。時々、こども食堂やアート教室も開催し、家にいるのがつらい子のために短期宿泊もできます。保護者も含めた個別相談も実施し、公的支援につなぐ役割もあります。
利用者は小学生から20歳前後で、1日数人程度。発達障害などでコミュニケーションに不安を抱える不登校の子が多く訪れています。居場所としての過ごし方は自由に選べます。絵を描いたり折り紙をしたり、好きなアイドルやアニメの話をしたり、掃除を手伝ってくれたり。「第二の実家」と表現してくれた子もいます。
――もともと中学の教員だったのですね
私は小学1年の時に父を交通事故で亡くしました。母は仕事で忙しく、自分で朝食の用意をしなければなりませんでしたが、次第に遅刻や欠席が増えました。でも寂しい時に、担任や保健室の先生が「お母さんだと思って相談して」と寄り添ってくれたことで何とかやってこられました。私もそんな先生になりたくて、教員の道に進みました。
ただ、理想と現実のギャップに悩みました。学級運営や担当教科、部活動で忙しく、不登校や発達障害の生徒とじっくり話し合う時間が思うように作れませんでした。家庭訪問もしていたのですが、先輩教諭からは「1人よりも大人数を優先させるべきだ」と言われたこともありました。
――「もも」を開設するきっかけは
ちょうどそんな時、当時中学生だった弟が夏休み明けに学校に行けなくなりました。フリースクールなども探しましたが、費用面や相性の問題で行けませんでした。家に一日中いることにお互い焦り、何とか外に出るきっかけを必死で探しましたが、いつでも気軽に行ける場所というのはありません。ならば自分たちで作ってみようと夫に相談し、退職して開設しました。助成金や寄付金などで運営しています。
――子どもたちの変化を感じますか
不登校だった子が高校進学を決めたり、退学した子がバイトを始めたりするケースはあります。ただ、「変化」はそれだけではありません。「バイトが続かない」「学校の先生に嫌なことを言われた」「死にたくなる時がある」……。家族にも明かせず1人で抱えていた苦しい胸の内を、ふとした時に話してくれることがあり、それも大きな変化だと感じています。
昨夏、ある女子高校生が作文を書いて持ってきてくれました。発達障害の「自分が嫌」と悩んでいたけれど、ももに来て「自分の気持ちを言葉にするのが苦手な私も、自然と悩みを話せるようになった。学校では1人で行動し、周りの人の話をうなずいて必死に聞いて頑張っていた私にも、友達ができた。ずっと無くなってほしいと思っていた自分の特性と向き合えるようになってきた」というのです。彼女たちのありのままを受け入れることがどれほど大切かを、改めて感じさせてくれました。
――不登校の子どもが増える現状をどう見ますか
不登校になる理由は多様であり複雑です。今の学校現場は、教師も忙しくひとり一人のニーズに応じた対応をとるような態勢にはなっていません。環境になじめず、つらい思いをする子が出てくるのは自然なこととも言えます。ただ、教育を受ける権利や、交流や体験の機会といった不登校で生じる課題を放っておいて良いはずがありません。
学校に代わる子どもの居場所が、もっと多くあればと思います。一人ひとりとの関わりをつむいでいくことができる、少人数でアットホームな居場所を増やしていきたいです。各地域で、子どもを優しく見守り関わってくれる大人が増えることを願っています。(阪田隼人)
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いざわ・えりこ 1990年、香川県三木町生まれ。大学卒業後、中学校の教員を務め、闘病中の子どもたちが学ぶ院内学級などを担当。2018年に、夫の貴大さん(34)と「まなびやもも」を開設し、20年に一般社団法人化した。離れで木曜の夕方からオープンする、子どもや若者のための「もものバー」では「店主」を務める。高松市太田上町1287の6。問い合わせは087・899・5340。
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- 【視点】
伊澤さんの「学級運営や担当教科、部活動で忙しく、不登校や発達障害の生徒とじっくり話し合う時間が思うように作れませんでした」との言葉は、重く受け止めねばならない事態です。毎日が忙しすぎて、給食をさっさとかき込んで、子どものノートに目をとおす。