問題は性別欄「だけ」じゃない 問うべき差別を残したまま進む議論
公的な申請書や願書などで「男・女」を明記させる性別欄。いま、性的マイノリティーへの対応のあり方や統計への影響などが議論されています。ジェンダー論が専門の菊地夏野さんは見直しの必要性を認める一方で、「現状のままでは、ほころびを繕うようなもの」と語ります。どういうことでしょうか。
これまで慣習として聞いていた性別について「必要がないものは見直そう」という議論の方向性は、妥当だと思います。しかし私が懸念するのは、そうした表層的な問題を解決しただけで、根本にある差別が温存され、不可視化されていくことです。
階級、地域、宗教などが大きな意味を持った身分制の社会から、「全ての人は平等」という社会に転換したのが近代でした。しかし、その「人」は男性だけだった。「男が上、女が下」という性別二元論を元に社会がつくられ、その矛盾を社会全体で解決しようとしてきた歴史が今日まで続いています。
近年はセクシュアルマイノリティーの存在が可視化され、そもそも二元論に当てはまらない人がいるということが提起されました。そのこと自体はいいことです。しかし、その結果として二元論がゆらぎ、差別が解消される方向に進んでいるかというと、そうではない。性別が非常に大きな意味を持つ社会構造には、変わりがないからです。
「解決してきた」ことにされる女性差別
性別欄を廃止してほしいと訴…
- 【視点】
昨日、岸田首相は同性婚の法制化に関して、否定的な考えを示しました。過半数の国民の意見に反し、真っ向から人権を否定する政府に、呆れて物が言えません。性的マイノリティ、女性などの、そもそもの平等な人権を政府が真に理解しないまま、仕方なしに制度だ