2008年に始まった中国残留日本人孤児たちへの新たな生活支援制度で、「法のすきま」に取り残された中国人配偶者がいる。苦労をともにしてきた孤児に先立たれ、制度の対象外とされる人たちだ。老後の生活保障を求めた裁判を支えてきた弁護団と原告団が毎年、支援の対象とするよう厚生労働相に求めているが、実現していない。
「これで安心して死ねる」。東京都足立区の趙淑栄さん(74)の夫・呉本忠義さんは07年、全国の残留孤児らによる裁判闘争の末に新たな支援制度の開始が決まったとき、そう言って大泣きした。重い肝硬変を患っていた。
趙さんが、永住帰国する残留孤児の夫について息子3人とともに黒竜江省から来日したのは1988年。都営住宅に落ち着き、夫は工場勤務、趙さんはビルや新幹線車両の掃除などをした。
帰国して10年ほどで夫が体調を崩し、趙さんの稼ぎと、貯金を切り崩しての生活になった。趙さんは体調がすぐれない夫に代わって、孤児の老後の生活保障を求める署名活動や裁判闘争にも参加した。
日本語だけでなく、中国語の読み書きもできず
08年から支援制度による給…