心を全部奪われた 鮎川誠さん悼む声 長女「ファンに支えられ幸せ」
1月29日に膵臓(すいぞう)がんのため74歳で亡くなった、福岡県久留米市出身の鮎川誠さん。ロックバンド「シーナ&ロケッツ」などで活躍したミュージシャンとして、地元・福岡での「めんたいロック」の中心人物として、そして一人の父として――。悼む声は尽きない。
「やっぱり寂しいです。ライブでかっこいい姿を見るのも大好きだったし、家では最高に優しいお父さんでした」。鮎川さんの長女、陽子さんはそう話した。
陽子さんによると、鮎川さんのがんは昨年5月に見つかった。徐々に痛みが出始め、食べることも難しくなり、痩せ始めた。
それでも鮎川さんは12月までステージに立った。がんは公表しなかった。「ライブではじける姿を見せるのに、病気だとわかったらファンに余計な心配をかけてしまう」と話していた。
昨年末に入院したが、コロナで面会できなかった。「姉妹3人が8時間ずつ交代にすればできるよね」。陽子さんらはそう話し合い、自宅で看病を始めた。
鮎川さんは自宅のパソコンに新しいアルバムの構想を残していた。「体力つけて復帰して、みんなの前でライブがしたい」と話していたという。体力を取り戻してほしいと、肉じゃがなど食べたいものを作ったが、一口しか食べられない時もあった。
亡くなる少し前。痛み止めの影響なのか意識がはっきりしない鮎川さんの手がずっと小刻みに動いていた。部屋に流れるシーナ&ロケッツの曲にあわせ、ギターを弾いているようだった。「お父さんは最後の瞬間も楽しいライブのシーンをみている。苦しんでいるんじゃなく、楽しい気持ちでいるんだね」。陽子さんは涙が止まらなかった。
妻のシーナさんが亡くなったのが2015年。鮎川さんの喪失感は大きく、家族を心配させた。陽子さんは言う。「亡くなった後、お父さんもすぐに亡くなったらどうしようと思っていたけど、ファンの方々が必要としてくれたから、いっぱいライブに立ち、どんどん元気になった。ファンに支えてもらって精いっぱい生きたお父さんは、幸せだったと思います」
とんでもないエネルギー発揮する人
「偉大なロッカーがまた一人亡くなってしまった。一つの時代が終わろうとしているのをしみじみと感じます」
80年代、福岡を拠点に活躍…