あき竹城さん、亡くなる前の1本の着信 同級生に芋煮会で見せた素顔
坂田達郎
現れるだけで軽妙な山形弁が聞こえそうな存在感があった。昨年12月、大腸がんのため75歳で亡くなった俳優・タレントのあき竹城(たけじょう)さんは、人気が出ても中学校の同級生たちと芋煮会を楽しむなど、古里に通い続けた。
本名は竹田明子(たけだあきこ)。6人きょうだいの末っ子として山形県米沢市に生まれた。幼くして父を亡くし、母に女手一つで育てられた。
気の置けない友との出会いは米沢市立第一中の2年生の時だ。「整列は身長順で大きいあきが一番後ろ、1人挟んで私。席も近く、たあいもない話をして大声で笑い合った」と木村郁子さん(75)は懐かしむ。
記事後半では、同級生たちと集ったときの、テレビとは違った竹城さんの様子や、木村さんが竹城さんの訃報を受けた当時について振り返ります。
中学卒業後に都会へ、長い下積み
モダンバレエを習っていたあきさんは中学卒業後、ダンサーを夢見て姉のいる大阪へ。国鉄米沢駅で級友や担任の先生が見送った。
大阪で経験を積み、全国のキ…