46歳で認知症、写真に残す日常 「その光景がずっと続くように」
「認知症の疑いがある」
2019年7月末、医師にそう告げられた。46歳だった。病名は若年性アルツハイマー型認知症。
「人生終わったな」と思った。
その年の4月、鮮魚店に勤めていたとき、仕事で移動するために電車に乗った。駅に降りると目的地の景色と違う。駅名の看板を見て、降りる駅を間違えたことに気づいた。「疲れてるのかな」
思い返せばその頃から症状はでていた。職場で10年以上の付き合いだった同僚に話しかけようと思ったとき、名前がでてこなかった。目の前にいるのが「同僚」だということは認識できる。けれど、思い出そうとしてもどんな名前だったか選択肢すら出てこない。
「なんでやろ」。思い出せない自分に、いらいらした。
その後も、もの忘れが何度も重なった。心配になってインターネットで調べてみた。「人の名前が思い出せない」、「仕事 もの忘れ」。
そんな言葉で検索したような気がする。ウェブサイトを読むと、認知症の症状が当てはまっているようだった。恐ろしかった。
一方で「そんなわけないやろ」と、自分に言い聞かせた。病気でないことを確かめて安心するため、病院で診察を受けることにした。
病院での検査が終わり、対面に座った医師から淡々と告げられた。
「若年性アルツハイマー型認知症です。現在の医学では根本的な治療法はありません」。その言葉とともに、視界が真っ暗になった。病気について詳しくは知らなかったが、「アルツハイマー」という言葉の重さだけで、絶望するには十分だった。
家に帰ってインターネットで病気について調べた。「高齢者より病気の進行が早い」、「2~5年で寝たきりに」。本当かどうか分からなかったが、そんなマイナスな言葉ばかりが目に入った。
「あと10年しか生きられへんのか」
通勤中、地下鉄のホームで考えた。
「このまま飛び降りたら、保険金でどうにかなるかな」。家のローンは20年ほど残っている。病気が進行して仕事ができなくなったとき、妻とどうやって暮らしていいけばいいのだろう。行きも帰りも仕事中も、「死」は頭から離れなかった。
京都市内で暮らす写真家の下坂厚さん(49)は、およそ3年半前に若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。絶望を味わったそのときから、生きる希望を見いだしていく姿を紹介します。
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