新聞は「学級委員」になりがち PV追求は逆に読者をナメていない?

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記者コラム 「多事奏論」 天草支局長・近藤康太郎

 新聞社系では、紙面でもデジタル配信でも、ポピュラー音楽の記事はふだんはあまり読まないようにしている。しかしこのあいだは、おもしろくて深い記事に出会ったから油断がならない。「ラッパーが説く『聞いてもらう力』 安易な歩み寄りに陥らないために」(朝日新聞デジタル 1月12日配信)。

 呂布カルマのインタビューで、ACジャパンの公共広告「寛容ラップ」が話題になったラッパーだ。じっさいにテレビCMを見ると、「あ、あれね」と思う人が多いだろう。コンビニのレジで会計にもたついているおばあさん。後ろに、いかつい男(呂布カルマ)が並ぶ。「ごめんなさいね」と謝るおばあさんに、男はラップし始める。

 〈Yo!もしかして焦ってんのかおばーさん/誰も怒ってなんかない/アンタのペースでいいんだ 何も気にすんな/自分らしく堂々と生きるんだ〉

 アイスクリームとソースの瓶をマイクにしているところが、笑える。インタビューでラッパーは「文章で書かれるとおしつけがましくなることも、半分冗談にして伝える」と語っていた。

 正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気づいているほうがいい

 これは吉野弘の有名な詩「祝婚歌」だが、ラッパーも同じ真理に到達している。

 新聞記者こそ、よほど気をつけないといけない。新聞は「正しい」ことを伝えるメディアだと、傲慢(ごうまん)にも思い込んでいるから。正しいことを言うときは、“学級委員”になってはいけない。正しいことを書くときは、笑わせなければいけない。

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