危ない橋も渡る「介入派」、霞が関では異色の経歴 更迭の荒井秘書官
編集委員・大鹿靖明
首相秘書官を更迭された荒井勝喜氏は、東大卒が多い霞が関のキャリア官僚の中では異色の経歴だ。横浜市の公立高校を卒業後いったん大手自動車会社の工場で働くつもりでいたが、その後、早大に進学。1991年に旧通商産業省(経済産業省)に入省した。一時は長髪を茶色に染めていたこともあった。
経産省には、特定業界や個別企業の育成や支援を重視する「介入派」と、公平な制度を設けてあとは市場にゆだねる「制度派」という二つの政策思想の対立があったが、荒井氏は「欧米はどこも介入政策をやっている。日本がお人よしすぎる」と言い、明確な介入派だった。シャープの経営危機の際には、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業による買収案に対して、官製ファンドの産業革新機構(現INCJ)を通じた再建をめざした。東芝の経営再建をめぐり、「もの言う株主」のアクティビストファンドを排除しようと水面下で動いたこともあった。
入省同期の官僚「あれだけリスクをとって仕事するのは彼だけ」
入省同期の官僚の一人は「普…