ゴーン時代からのルノー統治に幕 悲願成就の日産、浮かれられぬ現状
日産自動車と仏ルノーの間の「不平等条約」が、ついに改正される。両社の経営トップに日産元会長のカルロス・ゴーン氏が君臨した時代を含め、24年続いた日仏自動車連合の統治の枠組みが、名実ともに終わりを告げる。
独ダイムラーと米クライスラーが「世紀の合併」に踏み切るなど、自動車業界で大規模な再編の動きが広がった1990年代終盤。約2兆円の有利子負債を抱えて倒産寸前まで追い込まれた日産が頼ったのも、国境を越えたルノーとの提携だった。
当初は「弱者連合」とも呼ばれた日仏連合は大方の予想を裏切り、2010年代にはトヨタ自動車や独フォルクスワーゲンと年間1千万台規模で世界販売の首位を争う「自動車帝国」へと拡大を遂げた。
離合集散を繰り返す自動車業界にあって、経営統合や合併までは踏み込まず、緩やかな提携を維持する日産とルノーの関係は、数少ない大型提携の成功例とされてきた。
工場閉鎖や人員削減、系列解体もいとわないゴーン流の剛腕経営で危機を脱し、日産は技術力でも業績面でもルノーを凌(しの)ぐようになった。もとは救いの手を差し伸べてもらった立場とはいえ、日産の生え抜き幹部たちは、ルノーとの主従関係が変わらないことに不満を募らせていった。
「防波堤」の退場が生んだ両社のきしみ
「対等な関係、ウィンウィン…
- 【視点】
私はロシア経済のことを研究しているので、ルノー=日産アライアンスのことも、どうしてもロシア絡みで見てしまう。 ロシア最大の地場自動車メーカーは、サマラ州トリヤッチ市を本拠地とするAvtoVAZ(アフトワズ)社である。このAvtoVAZも、