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国枝さんが葬儀で語った「続きは天国で」 22歳で逝った後輩に誓う

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遠藤隆史
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 車いすテニスの世界トップに立ち続けた国枝慎吾さん(38)の記憶に残る後輩がいる。国枝さんの背中を追いかけて車いすテニスを始め、骨肉腫で再発と入退院を繰り返し、22歳で亡くなった福岡県北九州市の竹畠明聡(あきとし)さん。国枝さんは竹畠さんが残した言葉を「一生心に残り続ける」と語っていた。

 明聡さんは高校2年生の時、左足に骨肉腫が見つかった。中学時代からテニス部だった明聡さんは入院中、テニス雑誌を手にし、偶然、国枝さんの記事を目にした。

 医師から「5年生存率は20%」と宣告され、「走るスポーツは諦めてください」と通告されていた。家族によると、明聡さんは絶望に暮れながらも、2004年夏のアテネ・パラリンピックの車いすテニス男子ダブルスで金メダルを獲得していた国枝さんの活躍に、「走れない自分でも、車いすテニスならできるかもしれない」と勇気をもらっていたという。

 明聡さんは病院のパソコンを借りて国枝さんや車いすテニスについて調べ、1年2カ月に及んだ入院生活が終わった06年に競技を始めた。

 最初は地元でプレーしていたが、わざわざ転居して、憧れの国枝さんが練習拠点にする千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)に入り、国枝さんの姿を追いかけた。試合形式の真剣勝負でまったく歯が立たなくても、国枝さんに伝えた。「いつか倒します」

 長引いた入院生活で高校は卒業できなくても、高卒認定試験を受けて、国枝さんの母校の麗沢大学(千葉県柏市)に進学。とにかく国枝選手を追いかけて、いつか追い抜く。それが明聡さんの生きるエネルギーになっていた。

亡くなる1週間前にも電話

 国枝さん自身も、そんな後輩…

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