「同僚の名前が思い出せない」 46歳で認知症、死を考えた写真家

田辺拓也
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 若年性認知症を患いながらも、忘れゆく記憶をとどめるように写真に残し続ける写真家がいる。身の回りの日常にレンズを向け写真に収める。そんな日々の記憶が詰まった写真を集めて、シリーズ「記憶とつなぐ」をまとめた。22年3月には、京都市京セラ美術館(左京区)で写真展も開催。緩やかに進行する病と向き合いながら、写真で日々の記憶をつないでいる。

 京都市北区在住の下坂厚さん(49)。鮮魚店に勤めていた2019年8月、病院で、若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けた。当時、46歳。数カ月前から、10年以上付き合いのある同僚の名前が思い出せない、頻繁に道に迷うなど、心身の異変を感じていた。

 「人生終わったなと思いました」と振り返る下坂さん。

 当時、病気のことをインターネットで検索すると、「高齢者より進行が早い」「2~5年で寝たきりに」というマイナスな言葉ばかりが目に入った。「死」が頭から離れなくなったという。

 診断後、鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしていた下坂さんだったが、約3カ月後に転機が訪れた。

 19年の11月から、認知症患者の自立支援を行う医療福祉チームの紹介で、デイサービスセンターでアルバイトをすることになった。このセンターの利用者のうち、70代から90代の8割が認知症。高齢の利用者のトイレや入浴、食事の手助けなど全てが初めてで慣れるのに苦労はしたが、認知症当事者だからこそ入所者の気持ちに共感できることがあると気づかされた。

 「認知症になっても働けるし、当事者の自分にしかできない役割も社会にはあるんだ」

 社会での存在意義を感じることで、少しずつ自身の不安も和らいでいったという。

 現在も自身の症状は緩やかに進行していると話す下坂さん。昨日食べたものや、会った人などは忘れやすい。時間の感覚がつかみづらい症状もあり、窓のない部屋では朝なのか昼なのか分からなくなることもあるという。

 10代から写真を趣味にしていたが、認知症になってからは、以前より写真を撮る機会が増えたという。

 その日一緒に過ごした人、行った場所、食べたもの――。保存された写真を見ても、いつどこで撮影したのか思い浮かばないこともある。それでも写真を撮り続ける。日常のなんてことのない風景でも、写真に収めることで忘れていた記憶をよみがえらせる手がかりになるから。

 現在は写真家としてデイサービスで利用者の写真を撮ったり、当事者として認知症の啓発のため講演を行ったりしている。休日は京都の街に出かけては、シャッターを押すのが息抜きだ。

 かつて絶望し、将来が見えなくなった下坂さん。それでも今は「認知症になっても終わりじゃない」と確信し、生きている。(田辺拓也)

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