自殺やメンタルヘルス対策 ケアと憲法理念の緊張関係とは 憲法季評

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「憲法季評」 松尾陽・名古屋大学教授(法哲学)

 「法曹倫理」という大学の科目で、弁護士の倫理違反行為の事例について講義している。横領や利益相反など、欲に目がくらんだ事例もある。しかし他方で、訴状の出し忘れや連絡ミスの事例の背景を調べていると、弁護士のメンタルヘルスの問題に行き着く。

 法律家が取り扱う案件には、人びとの人生を左右する出来事も少なくない。責任の重さ、業務の多さに忙殺され、精神を病んでいくのだ。その結果、通常業務を滞らせ、懲戒されてしまう。外部からは、仕事をサボった結果で自業自得にみえるかもしれない。

 懲戒されて終わるならば、まだマシである。業務に忙殺されて死を選択する弁護士さえいる。弁護士の自殺率が一般の人びとに比べて高いという分析もあり、弁護士会もメンタルヘルスの問題に取り組んでいる。

 さて、この1月20日に、2022年の自殺者数が速報値で2万1584人であったと公表された。3万人を超えていた時期からすれば減少したものの、依然として2万人を超えており、また、コロナ禍における動向をみても、一層力をいれなければならない社会課題である。また、自殺の影響は当人だけにとどまらない。東京大学の澤田康幸氏らを含めた研究グループによると、自殺者1人につき5人弱の遺族がおり、親を自殺で失った「自死遺児」の数もおよそ9万人になるという。さらにいえば、統計にカウントされる「自殺」という形をとっていないものの、精神を病んでアルコール依存を深め死んでしまう事例などは、緩慢な自殺というほかない。

 日本国憲法25条では「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が規定されている。ここの「健康」には、肉体面のみならず精神面の健康も含まれるだろう。果たして自殺をめぐる現況は「健康」だといえるのだろうか。もっとも、精神面の健康問題に政府がどのように関わっていくのかについては、憲法の理念との関係で繊細な問題をはらんでいる。

 すなわち、精神面での健康を維持しようとすればするほど、憲法が政府による恣意(しい)的な干渉から守ろうとしてきた「私」の領域、その中でも最高度に保障されなければならない心の領域に干渉する可能性が強まるのではないかという問題である。

 憲法は人びとの自由を守ろう…

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