第1回「令和の阿波戦争」勃発へ 後藤田正純氏の「変心」、割れた反知事派
統一地方選前半戦(4月9日投開票)の徳島県知事選は、保守が4分裂する公算が大きくなっている。自民党が候補者を一本化できず、保守分裂選挙となるのは全国でまれに見られるが、四つに分かれるのは極めて異例だ。令和の阿波戦争とも言われる複雑な構図はなぜ生まれたのか。「反知事派」「知事派」の2回に分けて報告する。
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「知事選になった場合は行きます。皆さんよろしくお願いします」
2021年9月11日夜、徳島県吉野川市のすし屋で、自民党参院議員の三木亨(とおる)は県内の町長や市長らの前で宣言した。同席した自民党衆院議員の後藤田正純も「亨ちゃんでいいですよね」と上機嫌で話した。出席者の1人はそう証言する。
会合の参加者たちは自民県連と距離を置き、県連が推して5期目に入った知事、飯泉嘉門(かもん)の県政を「多選の弊害が多い」と問題視する共通点があった。飯泉は当時、県議会で「知事では限界がある」と答弁するなど、国政転身への意欲を示し、後継候補として農水省官僚の名前が上がっていた。現県政が引き継がれる形になってはならないと、「非飯泉」候補を擁立し先手を打つことで一致した。
この話は、飯泉が一転、知事職にとどまったことで白紙となる。ただ、反知事派の間では「次の知事選では三木が出て、後藤田が支える形になる」というのが既定路線と考えられていた。
後藤田と三木は徳島ゆかりの政治家の家系に生まれ、若い頃から互いを知る間柄で支援者も重なる。後藤田は当選8回のベテラン国会議員。「カミソリ後藤田」と言われた元副総理、後藤田正晴を大叔父に持ち、徳島政界きってのサラブレッドと評される。妻が俳優の水野真紀であることが話題に上ることもある。一方、三木の父、申三は徳島県知事を3期務めた。
その申三は、阿波戦争と言われるまでに徳島の自民党が激しく2派に分裂した1970~80年代、知事選に後藤田派の候補として立候補。77年は敗れたが、81年に現職の武市恭信を破って初当選した。
後藤田、三木の2人がタッグを組めば、飯泉を担ぐ自民県議が主流派となっている徳島の政界を塗り替えられる。それが反知事派の思惑だった。
「後ろから鉄砲で撃たれた」
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ところが、シナリオは大きく狂う。
知事選まで半年となった昨年…
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- 【視点】
迫真の舞台裏が描かれていて、興味深い記事です。前にもコメントプラスに書きましたが、私のルーツ(親の出身地)は徳島県。しかも、元祖「阿波戦争」の中心地だったところです。三木派だったか後藤田派だったかは、私自身はまったく無関係なので内緒にしてお
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