第10回元原発相・細野豪志氏「運転年数の規制、科学的でないと思っていた」
東京電力福島第一原発事故後の2012年、原子炉等規制法(炉規法)が改正され、原発の運転期間が原則40年、最長60年と定められました。民主党政権の原発担当相として法改正を主導した細野豪志衆院議員(現・自民党)に、当時の考えと、岸田政権による原発政策の転換について聞きました。
――運転期間の延長など岸田政権の「原発回帰」についてどう考えますか。
「いま日本は二つの危機に直面しています。私は『前門の虎、後門の狼(おおかみ)』と言っていますが、エネルギー危機と地球温暖化です。二つの危機を回避する方法として、原子力という選択肢を残すことが重要です。事故から11年たって、原子力の位置づけを見直さなければいけない状況になったと思います」
「今回の改正案は、審査などで運転が停止している期間を運転期間から除くものです。原発がなくなるリスクを軽減するという意味では一つの判断だと思います」
――運転期間のルールは11年前、細野さんらが主導して決めた安全規制です。
「当時、日本の原子力の黎明(れいめい)期である1970年代に運転を始めた原発の安全性を懸念する声が多くありました。70年代の原発の多くが再稼働できないよう原則40年、例外として20年の延長を認めることにしました。この結果、70年代前半に運転を始めた古い原発は廃炉が決まり、役割は果たしました」
――70年代の原発は何が危険だったのですか。
ほその・ごうし 1971年生まれ。滋賀県出身。京都大卒。三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)研究員を経て、2000年に民主党公認で衆院議員に初当選。11年から内閣府特命担当相(原発事故の収束と再発防止)や環境相などを務めた。16年に民進党を結成し、代表代行に。17年、希望の党を立ち上げ、18年に無所属。19年に自民党二階派に入り、21年に自民党に入党した。
「事故の対応です。福島第一…